水瀬ケンイチさんの新著『彼はそれを「賢者の投資術」と言った』がこのほど刊行されました。 前著『改訂版 お金は寝かせて増やしなさい』がさらにパワーアップし、25年にわたる投資の来歴と、そこから得た「賢者の投資術」としてのインデックス投資、積立投資の実相と理論が明晰に語られている1冊です。なにより驚いたのは、前著まではそれとなく記述されいた投資と私生活の苦悩まで赤裸々に描かれており、ある意味で胸を打たれました。なぜなら、そういった苦悩を経たからこそ、資産形成や運用を“生活化”する意味が見えてくるからです。
本書は、「第1部 実践編」と「第2部 理論編」で構成されています。やはり、個人的に印象に残ったのは「実践編」でした。前著でも紹介されていた投資を始めるきっかけから、インデックス投資に出会うまでの迷走は、完璧主義の水瀬さんだからこそ陥った落とし穴でしょう(その点、ずぼらな性格なのでインデックス投資をしながら今でも個別株投資を続けている私との違いです)。そうした中でインデックス投資と出会い、積立投資を続ける中でリーマン・ショックに遭遇し、水瀬さんもまた多くの個人投資家と同様に苦しい時期を経験しています。
水瀬さんの場合、ブログを通じてインデックス投資に関する体験を発信していただけに、リーマン・ショックのような本格的な下落局面では、普通の個人投資家とは比べ物にならないほどの逆風を受けています。そうした経験を経ての結論が「こわいのは市場ではなく人である」というのは至言。そして、暴落局面では市場を追いかけるのではなく、例えば円高のメリット生かすためにランカウイ島やアラスカに旅行したとか。私もよく市場が暴落すると「投資のことなどしばらく忘れて、南の島にでも遊びに行け」と言うのですが、既にそれを実践していたところがさすがでした。
ただ、ここまでは前著でもある程度は紹介されており、昔からの水瀬さんの読者ならお馴染みの話でしょう。そう思って読み進めていて、第3章「困惑のインデックス投資の道のり」に入って、ページをめくる手が止まりました。暴落を乗り越え、再び運用が軌道に乗る一方で、投資以外の生活の面で水瀬さんは深刻な危機に陥っていたことが赤裸々に語られていたからです。なんと本業で予期せぬ負担に直面し、精神のバランスを崩すところまで追いつめらたのです。その様子は同年代として実に身につまされるものです。40代というのはある意味で危機の時期です。仕事と私生活ともに負担が大きくなる一方で、心身のパワーはピークアウトを自覚せざるを得ない状態になります。そこでうまくバランスをとり、ある意味で現実と折り合いを付けないと、心も体もパンクする。市場が回復し、資産も順調に増える裏側で、水瀬さんもそういった危機に直面していたわけです。
水瀬さんの場合、1年間休職することでメンタル面の危機を乗り越えたのですが、それができたのも早くから資産形成・運用に取り組み、経済的に余裕があったからだという指摘こそ、なぜ投資を生活の中に自然な形で組み込む資産形成・運用の“生活化”が大切なのかということを切実に教えてくれています。日本は中高年の自殺が多く、その原因の多くが経済的理由です。また、経済的理由から仕事を辞めることができず、結局は精神の健康をさらに害し、それが自殺の原因となることも少なくありません。だからこそ、資産形成・運用を生活に組み入れないといけない。それは心身の健康を維持するために、それこそ良く寝るとか、栄養バランスの良い食事を心がけるとか、お酒を飲み過ぎないなどと同じレベルのことなのです。それを私は“生活化”と呼びます。本書で語られる水瀬さんの経験は、まさに資産形成・運用の“生活化”の意味を具体的に教えてくれます。
本書で水瀬さんはインデックス投資を推奨していますが、それもひとつの選択肢であり、絶対的な解ではないでしょう。ただ、資産形成・運用を“生活化”するためにはベターな手法であることが、25年にわたる個人投資家としての経験を通じて明晰に語られています。私生活上の苦悩や危機も乗り越えて得た実感なのですから、第2部の理論編での指摘も教科書通りの指摘ではなく、それこそ“鍛えの入った”考え方です。そして、理論編の最後を締めくくる第7章「増やしたお金の今後の使い方・取り崩し方・たたみ方」もまた、個人投資家として最後の課題に対して水瀬さんがどう考えているのかが分かり、非常に感銘を受けました。近年、日本の個人投資家にとっての投資環境が著しく整備され、真面目に資産形成・運用に取り組み人が増えました。こうした中、これから課題になるのは、“お金を増やすこと”だけではなく、“増やしたお金をどのように使うか”だからです。そして、これこそが資産形成・運用の究極的な問いです。そうしたことが問われるようになって、初めて日本での資産運用・形成も“本物”になるのでしょう。その点でも水瀬さんの問題意識は先頭を走っていることがよく分かりました。
最後に少し感傷的な印象を。本書のタイトルにある「彼」とは、2024年に亡くなった経済評論家の山崎元さんのことです。水瀬さんとの共著『【全面改訂 第3版】ほったらかし投資術』もある山崎さんもまた、資産形成・運用の“生活化”を陰に日向に応援してくれた人でした。本書を読んですぐに感じたのは、「ああ、これは水瀬さんによる山崎さんへの追悼の書でもあるのだな」ということです。そういえば文章のところどころに、これまでの水瀬さんの文体とは異なるトーンを感じました。それは、まさに山崎さんの文体のトーンです。それもまた、本書を読んで胸を打った理由なのです。