前回の記事で『君たちはどう生きるか』を紹介したついでに、学生時代に呼んで今も定期的に読みかえしてしまう本について少し紹介しようと思います。誰しも人生の中で繰り返し何度も読みかえしてしまう本というものがあるはず。私の場合、そういった本のひとつが白川静先生の『孔子伝』です。孔子とは何者なのか、「儒」とは何か。白川先生の徹底した資料吟味と構想力が畏るべき孔子像と儒教解釈を示し、その深淵には読むたびに圧倒されます。
そもそも、孔子とはいったい何者なのか。白川先生は残された資料を基に驚くべき断定を繰り出します。
孔子の世系についての『史記』などに記す物語は、すべて虚構である。孔子はおそらく、名もない巫女の子として生まれ、早く孤児となり、卑賤のうちに成長したのであろう。そしてそのことが、人間について初めて深い凝視を寄せたこの偉大な哲人を生み出したのであろう。白川漢字学では「儒」とは雨乞いの儀式を意味します。そこでは巫祝が人身御供として焼き殺される。そういった古代社会が持つ神への献身、自己投棄の伝統が孔子にも受け継がれている。孔子は「述べて作らず。信じて古を好む」(『論語』述而篇)と言ったけれども、理想を過去に投影し、現実を改めるという厳しい実践の背景には、そういった理想への献身があるのです。
それは同時に、理想は既に喪われていて、その復活は過去を可能性として読み直す行為によってのみ実現可能なのだということを示唆してる。それは厳しい道だけれども、真に革命的な思想が宿命的に背負う厳しさです。孔子が世に出たのは40歳を過ぎたころだとされますが、その後も孔子教団が直面する苦難によって、思想がさらに鍛えられていく様を白川先生は驚異的な学識と想像力で描きます。
また、孔子の思想の本当の意味での後継者は、儒家集団ではなく、そのもっとも厳しい批判者として登場した荘子であるという指摘は極めて重要です。思想はときにその反対者によってもっとも本質的に継承されるという思想史のダイナミズムを感じずにはいられません。そうした荘子に近い思想が『論語』「微子篇」に含まれています。
儒教の精神は、孔子の死によってすでに終わっている。そして顔回の死によって、その後継を絶たれている。イデアは伝えられるものではない。残された弟子たちは、ノモス化していく社会のなかに、むなしく浮沈したにすぎない。『論語』は、そのような儒家のありかたをも含めて記録している。またそれゆえにわれわれは、孔子の偉大さを、そのなかから引き出すことができるのである。この白川先生の指摘は、なぜに今もまだ『論語』や孔子の思想が私たちの心を捉えて離さないのかという秘密を明らかにしています。その一端として、孔子の二人の弟子、子路と顔回についての考察は感動的でした。白川先生は次のように書いています。
子路と顔回とは、孔子にとって、その内と外とを支える両翼であった。そのことをもっとも的確に認識していたのが荘子であったとも。だから『春秋公羊伝』の獲麟の記事で孔子の悲嘆を示した後、次のように記しました。
つづいて「顔淵死す。子曰く、ああ、天われを喪ぼせりと。子路死す。子曰く、ああ、天われを祝てりと。西狩して麟を獲たり。孔子曰く、わが道窮せり」という伝文を加えている。二子の死は、獲麟のこととともに、孔子の事業を終わらせるものであった。獲麟のことは、聖王の時代への希望を絶つものであり、孔子の夢を奪うものであった。孔子はその行実を子路に託し、またその道を以て顔子に託した。そしてそのことは荘周にも、また公羊学の組織者にも、よく理解されていたことである。孔門の使徒の名に価するのは、この二人だけであった。ここほど孔門における子路と顔回の存在の意味を強烈に示した文章を私は知りません(近いのは中島敦の小説「弟子」でしょうか)。
本書を読んで強く感じるのは、孔子の思想は既に喪われているということです。しかし、喪われているがゆえに、後世の人は、そこに自分が信じる可能性を読みとることができた。それが思想の強度というものです。
白川先生は「思想は本来、敗北から生まれてくるもののようである」と記していますが、思想の継承もまた、喪失から生まれてくるのだと言いたい。そういったことも考えさせられるという点でも、本書は畏るべき1冊であり、それが読みかえすたびに新たな発見をもたらしてくれるのです。
※本稿は旧ブログに載せたものを一部加筆訂正したものです。