高市早苗さんが自民党の新しい総裁に選ばれました。今後、野党との連立交渉や政策協議がありますが、それらがまとまれば国会の最大会派のトップとして総理大臣に指名され、日本初の“女性総理大臣”が誕生します。いろいろな意見があるけれども、やはり歴史的に大きな意味があることでしょう。なぜなら、社会とは“少しずつ”進歩するものだからです。
日本はこれまで先進国の中でもジェンダー・ギャップの大きな国だという批判が常になされていました。その主要な要因の一つが、政治分野への女性の参画が遅れているという評価です。そこには“ガラスの天井”があるといった評価もなされていました。ところが今回、高市さんが首相になれば日本でも政治分野への女性の参画が大いに進んだことになり、ジェンダー・ギャップに関する国際的評価も大いに変わってくることでしょう。
そう考えると、高市さんが与党・自民党の総裁に選ばれたことは歴史的に大いに評価されるべきことなのですが、なぜかというか、やはりというか、これを評価しないフェミニストがいるわけです。高市さんは女性ですが、保守派であり、政策やイデオロギーの面で相いれないからです。
しかし、そうした高市さんへの批判は、大切なことを軽視していると思う。それは、そもそも現実の社会とは“少しずつ”しか進歩しないということです。同時に、たとえ“少し”でも、歴史的に不可逆的な進歩の重大性を見落としている。たしかに高市さんが“初の女性総理大臣”となることは、フェミニストから見れば後退にも等しい“ごく小さな”進歩にしか見えないのでしょう。しかし、これまで誰も破ることができなかった“ガラスの天井”を突破したことは、どれほど小さく見えても、歴史的に不可逆な進歩なのです。その意味はあまりに大きい。
一足飛びに“大きな進歩”ばかりを目指して、現実の“小さな進歩”を馬鹿にする人は、必ず現実に復讐されます。なぜなら、現実の社会とは“小さな進歩”の積み重ねによって、結果的に“大きな進歩”を実現するものだからです(これは、少しでもまともな社会人経験のある人なら、感覚的に分かることだと思う)。
そういえば、2016年の米国大統領選挙では民主党のヒラリー・クリントン候補がリベラル派の女性からの支持をあまり集められなかったということがありました。この時、クリントン候補を支援していたマデレーン・オルブライト元国務長官はクリントン候補を支持しない女性有権者に対して「助け合わない女性には地獄で特等席が用意されている」と非難したことがあります。彼女の発言は非常に反発を受け、結果的にクリントン候補から女性支持者がさらに離れることになるのですが、彼女の苛立ちはよく分かります。それこそ非現実的な“大きな進歩”に拘泥し、現実の“小さな進歩”を阻害するのは、害悪でしかないからです。そして現実はどうなったか。クリントン候補は破れ、当選したのはドナルド・トランプ氏でした。いまやリベラル派は地獄どころか現世で特等席に座らされようとしています。
今回、高市早苗さんが国政の表舞台に登場したことは、やはり大きな意味があるのです。そして、高市さん自身もこれまでの政治的来歴の中で、“小さな進歩”をコツコツと積み上げてきたからこそ、いまの立場を掴み取れたのだと思う。そういった“小さな進歩”を認めない人が、高市さんの登場を“後退”のように感じてしまうのでしょう。それは“大きな進歩”に拘泥し、現実の“小さな進歩”が見えなくなっているということです。ぜひこれからも“小さな進歩”をコツコツと積み上げるような政策を実行して欲しい。それが高市さんに対する期待です。