世界的にインデックスファンドやETFなどパッシブ運用のウエートが高まってきたことで、それが市場の価格形成メカニズムを歪めているという批判が増えてきました。それに関してJPモルガン・アセット・マネジメントのグローバル・マーケット・ストラテジストである重見吉徳氏が興味深い論考を発表しています。
ETFが招く資本市場の危機(ロイター)
「アクティブとパッシブ運用は共存を唱えるべき」という主張も含めて概ね話の筋は通ていると思うのですが、少しだけエクスキューズしたい部分があります。それは「パッシブ運用は資本市場のフリーライダー」ということです。これは確かに真実ですし、昔からあるパッシブ運用批判の典型なのですが、そのことをあげつらえばあげつらうほど、なぜ世界的に受益者がアクティブ運用を見捨て、パッシブ運用に走っているのかという現象の理由を見失うと思うのです。恐らく重見氏も薄々気づいているのでしょうが、そのことを明言することはできないでしょう。なぜなら、それは運用ビジネスに関わる人が絶対に口に出せない“不都合な真実”だからです。
重見氏は「パッシブ運用は資本市場のフリーライダー」であることを次のように説明しています。
インデックスファンドとアクティブファンドの期待超過収益率の差は、何に相当するだろうか。それは、企業経営者との対話を含むエンゲージメントや、資本市場を成立させるためのコストに相当する。概ね正しい整理ですし「資本市場にインデックスファンドやETFのみが存在することは不可能」という指摘にも100%同意します。しかし、ひとつだけ無視していることがあります。それは、実際にアクティブファンドが受益者から取っている報酬が「企業経営者との対話を含むエンゲージメントや、資本市場を成立させるためのコスト」として合理的な水準なのかという問題です。つまり、世界的にアクティブ運用からパッシブ運用に資金が移動している背景には、受益者がアクティブファンドのコスト体系の合理性に疑問を持つようになったからではないでしょうか。
両者の差は、表面上は、アクティブファンドの運用者に対する報酬と販売経費である(より正確には、インデックス運用者のそれらとの差である)。
アクティブファンドの運用者に対する報酬とは何だろうか。彼らが一日中どんな仕事をしているかを考えればわかるが、それは、マクロ経済や各産業、個別銘柄のファンダメンタルズや需給に関するリサーチ活動であり、その結果、可能となる企業経営者との対話を含むエンゲージメントであり、それらに対する対価である。
リサーチ活動やエンゲージメント活動の後に続く(日本で言えば、個人投資家も含む)アクティブファンドの銘柄選択のみが、個別銘柄の売りと買いを通じて資本市場を形作っている。言い換えれば、資本市場にインデックスファンドやETFのみが存在することは不可能である。
ようするにアクティブ運用が衰退する背景には、その高コスト体質への批判が隠されている。端的に言ってしまうと「アクティブ運用のコストはもっと引き下げることができるのでは」「そもそも運用ビジネス関係者の給料が高すぎるのではないか」ということです。実際に日本以上にアクティブ運用からパッシブ運用への資金移動が顕著な米国では、そういう問題意識が受益者の間でジワジワと広がっています。このことは以前に紹介しました(投資や運用に関わる人は、チャラチャラしてたらイカンのですよ)。
これには運用ビジネスを取り巻く環境の構造的変化があるからです。かつて運用ビジネスというのは一部のお金持ちの資金を対象としたビジネスでした。しかし、現在の機関投資家の大部分は年金基金などです。つまり庶民の虎の子のお金を運用している。それによって運用ビジネスの規模が急激に拡大したわけですが、同時に庶民の虎の子のお金を運用する以上、コストの合理性に対する要求がシビアになるのは当たり前の話です。なぜなら年金資金などを扱うようになったことで運用ビジネスには一種の“公益性”が求められるようになるからです。そして、運用ビジネスが公益ビジネス化すれば、その関係者が高額の報酬を受け取ることなど社会的に許容されません。それは電力会社が儲かったときに従業員の給料を上げるよりも先に電気代を値下げしなければならないのと同じ理屈です。
もうひとつは、IT技術の発達で「マクロ経済や各産業、個別銘柄のファンダメンタルズや需給に関するリサーチ活動」のためのコストが低下していることに受益者が薄々気づいていることもあります。確かに昔は調査にものすごく手間暇とコストがかかりました。しかし、最近ではインターネットなどによって情報の入手ツールが豊富になりました。データベースや統計の整備も進んでいます。リサーチ活動自体がコモディティ化しているのです。にもかかわらずアクティブファンドが昔ながらのコストを要求することに対して受益者は「ちょっと自助努力が足りないのでは」という疑問を持っても不思議ではありません。そうなると、アクティブファンドに対して高額の報酬を支払うのが馬鹿らしくなる。「パッシブ運用で十分ではないですか」ということになる。何しろパッシブ運用は運用資産が増えれば報酬が低下するという形でファンドの自助努力が可視化されていますから。
つまり、いま問題となっているアクティブ運用の衰退を防ぐためには、こうした受益者の疑念を払拭する必要があるということです。それは運用ビジネスのコスト構造を見直すということです。簡単に言うと、運用ビジネス関係者の報酬を、それこそ電力会社など公益企業並みにまで引き下げて、それによって信託報酬も大幅に引き下げれば、受益者は再びアクティブ運用の価値を見直すようになるのでは。そこからアクティブ運用の華麗な復活が始まるのではないでしょうか。しかし、それは運用ビジネス関係者が絶対に口に出せない“不都合な真実”です。
しかし、アクティブ運用がそういった“不都合な真実”から目をそらし、それこそ自らの報酬を維持するために、さらに過剰なリスクテークに打って出るならば、それは重見氏が指摘したように「チキンレースはどこかで悲劇に変わる」。ただし、それはパッシブ運用の隆盛という圧力の結果ではなく、それこそアクティブ運用の自己保身が招いた悲劇であって、やはり批判されるのは過剰なリスクをとった側であることになんの疑問もないのです。
最後に補足ですが、パッシブ運用も「資本市場という制度を成立するためのコストについて、応分の負担をしなければならない」という指摘に対しても答えておきます。パッシブ運用は何らかの指数をベンチマークとして運用されますから、資本市場という制度を成立するためのコストを負担するのはファンドでなく指数算出会社であり、取引所ではないでしょうか。
例えば現在の日本株市場では、日経平均株価とTOPIXという代表的指数に東芝が組み込まれていますが、本来なら日経新聞はさっさと東芝を日経平均株価の対象銘柄から外すべきだし、東京証券取引所も東芝を上場廃止にすることでTOPIXから除外するべきでしょう。そうやって指数算出会社や取引所が問題企業を排除するガバナンスを強化すれば、パッシブファンドは指数算出会社に対して指数使用料を支払い、取引所に対しても場口銭を払っているわけですから、「資本市場という制度を成立するためのコストについて、応分の負担」をしていることになるはずです。そうなればパッシブ運用も決して完全なフリーライダーとはならないのです。
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