2020年12月5日

収入激減なのに保有金融資産額はアッパーマス層となる皮肉

 


先日、冬のボーナスが支給されたのですが、非常なショックを受けました。なんと今年の冬のボーナスは一律数万円が支給されるだけで事実上の“寸志”に。ご想像どおり新型コロナウイルス禍が原因です。私の勤務先は零細企業なうえに景気敏感業種なので新型コロナ禍が直撃しています。売り上げ激減でいまや経営危機に。夏のボーナスも前年実績から半減となっていましたが、今回はさらに状況が悪化しています。このため年収は大幅に減少しています。ところが奇妙なことに最近の株高で保有する金融資産の評価額は右肩上がり。ついに金融資産総額は3000万円を超えました。野村総研の区分によると“アッパーマス層”というそうです。収入激減なのにアッパーマス層入りするというのは、なんとも皮肉な現象です。

新型コロナ禍が起こって以来、勤務先の業績は悪化の一途。このままでは債務超過になって倒産するということで、経営陣からは「聖域なき経費削減を断行する」との通達が出ました。労働組合を通じて「“聖域”とは何か」と問いただしたところ、社長ははっきりと「人件費です」と明言する始末。実際に嘱託社員は全員、契約更新されないというリストラが断行されました。そして今回のボーナス大幅カットです。加えて受注減少にともなって残業も大幅に減っているので、年収ベースでもかなりの減少です。社会保険料の基準となる標準報酬月額の区分が下がったほど。

ところが、収入が減っているのにもかかわらず資産総額はどんどん増える。私は資産の約半分を個別株や投資信託などリスク資産で保有しているのですが、最近の好調な相場の恩恵を大きく受けています。気が付いたら資産総額が3000万円を超えるようになりました。“コロナ・ショック”による下落からの回復どころか、過去最高額すら更新しています。なんとも皮肉な現象です。

野村総研の区分によると、預貯金、株式、債券、投資信託、一時払い生命保険や年金保険など世帯として保有する金融資産の合計額から負債を差し引いた「純金融資産保有額」が3000万円以上5000万円未満となる世帯をアッパーマス層というそうです(ちなみに5億円以上が超富裕層、1億円以上5億円未満が富裕層、5000万円以上1億円未満が準富裕層、そして3000万円未満がマス層だとか)。2017年のデータによると全世帯のうち約80%はマス層ですから、アッパーマス層になるということは上位20%に入るということです。けっして富裕層ではないけれども、庶民でもないということでしょう。


私は就職氷河期の真っただ中で学校を卒業し、やっぱり仕事が無くてまともに就職したのは29歳の時。勤務先は従業員50人未満の零細企業で、安月給な上に不況が来るたびに給与カットやボーナス無しを経験しています。それなのに気が付いたらアッパーマス層の仲間入り。本来ならドヤ顔もしたいところですが、実際はなんとも複雑な気持ちです。なぜなら、一方で大幅な収入減という危機に直面しているからです。そして、私と同じように新型コロナ禍による収入減に見舞われた人で、資産もそれほど多くない人(まさにマス層)は、もっと深刻な生活の危機に直面しているであろうことが容易に想像できるからです。

現在起こっていることの意味を考えてしまいます。それは、新型コロナ禍を契機に恐るべき格差社会が到来するのではないかということです。新型コロナ禍による経済活動の停滞は、多くの労働者から仕事と収入を奪いました。一方で経済を支えるために各国政府と中央銀行は様々な財政政策・金融政策を断行しています。その効果は株式市場の好調となって現れました。その結果、同じように収入減少に見舞われた人の中でも、投資している人と、投資していない人との間で驚くべき格差が発生しています。

こうしたことを考えると、いまやリスク資産への投資というのは「儲けるため」に行うことではなくなったような気がします。もっと深刻な意味、すなわち将来に向けた「生活防衛」の手段になっているのではということです。なぜなら、労働による収入が減るタイミングと、リスク資産が減るタイミングがだんだんと一致しなくなってきたからです(そこには政府や中央銀行による政策の影響があります)。

さらに言うならば、私のような零細企業で働く労働者にとっては、株式などに投資するリスクよりも、労働収入が減少するリスクの方が大きいとさえいえます。そうなると、ますますリスクヘッジとしての投資・資産形成が重要になります。経済危機が来れば勤務先はいまにも倒産しそうになるけれども、投資先の大企業はさすがに倒産まではしないという身も蓋もない現実があるのです。

アッパーマス層の仲間入りをしたからといって、とくに生活は何も変わりません。しょせんはその程度のことなのです。ただ、これまで資産形成に取り組んできた“意味”が少しだけわかりました。大幅な収入減に見舞われながらも、とくに生活が変わっていないということは、やはり生活の“防衛”に成功しているということだからです。そして、これから訪れるであろう恐るべき格差社会を生き延びるためにも、もはや投資や資産形成というのは「ちょっと儲けたい」といったチャラチャラした気持ちでやるものではなく、もっと悲壮で真摯な気持ちで取り組むべきものなのだということを、ある意味で戦慄しながら感じています。

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