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2019年6月1日

証券会社のイカサマ体質が日本人の株式投資への信頼を失わせた



若い人はそれほどでもないかもしれませんが、日本では世間一般として株式投資に対する信頼感が極めて薄いです。日常生活で「株式投資をしている」などと言うと、「株式市場なんてインチキ」「小口の個人投資家は養分にされるだけだからやめておけ」などと真面目にアドバイスされることも少なくありません。まさに“株式投資=イカサマ”というのが世間一般の印象です。なぜ日本では、これほどまでに株式投資に対しての信頼が失われてしまったのでしょうか。その要因の一つが、日本の証券会社のイカサマ体質にあります。それを象徴するような不祥事がいまだに続いているのですから。

先日、東京証券取引所が東証1部の上場基準見直しの検討を進めているという報道がありました。市場にとっても投資家にとっても非常にインパクトが大きいと予想される問題ですから慎重な議論と決定が必要なのは当然なのですが、ここでも証券会社による大きな不祥事が起こりました。

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なんと東証の「市場構造のあり方等に関する懇談会」の委員を務める野村総合研究所の研究員が野村證券の市場戦略リサーチ部チーフストラテジストに東証1部上場基準の変更案に関する情報を漏らし、それが野村證券を通じて一部の機関投資家に伝わったとのことです。これに対して金融庁はインサイダー規制の対象外ながら「インサイダー取引に引けを取らない、市場の公平性・公正性に対する重大な行為」として行政処分を課しました。

この事件で特に気になるのが、証券会社が入手した情報を「一部の機関投資家」だけに伝えていたことです。あいかわらず日本の証券会社は大口投資家と小口投資家を平気で差別している。大口投資家にだけ有利な情報を流し、小口投資家は犠牲になる。悲しいことに「株式市場なんかインチキ」と言う人が、その理由として挙げる「小口の個人投資家は養分にされるだけ」という指摘は、ある意味で真理を突いているのです。これこそが日本の証券会社が持つ度し難いイカサマ体質です。

そして、こうしたことが明らかになるのは今回が初めてではありません。過去を振り返ると、やはり決定的だったのは平成に入ってすぐに明らかになった証券会社による損失補填問題でしょう。昭和40年の証券取引法改正で証券会社などが顧客に対して株式取引などで生じた損失を負担する(損失補填)ことを約束して勧誘することが禁じられたにもかかわらず、一部の大口顧客に対しては引き続き大規模な損失補填を続けていたことが社会問題になりました。

当時はバブル崩壊後だったこともあり、ほとんどの投資家は損失を被っていました。しかし、大口投資家の損失は証券会社が補填していたわけですから、究極のイカサマです。私の家は祖父の代から資産形成の手段として普通に株式投資を活用するような家庭でしたから、当然ながら父母ともにかなりの含み損を抱えていました。そんな中で証券会社による特定投資家への損失補填が報道され、父なども激怒していました。そして「これやから株屋は信用ならんのや!」と言い放ったものです。この感覚は私にも引き継がれていて、いまだに証券会社を信用することができなくなっています。

結局、日本で株式投資がなかなか一般庶民に広がらないのは、こうした過去からの悪行の積み重ねで証券会社に対する信頼感が著しく欠如しているからです。そして証券会社への不信感が、そのまま株式市場への不信感につながるという悪循環をたどってきました。ちなみに証券会社が過去にどのような態度で投資家に臨んできたのかを図らずも明らかにした資料が、オリンパス粉飾決算事件で逮捕された横尾宣政(野村證券出身)による『野村證券第2事業法人部』です。あきれるばかりの悪行の数々が“武勇伝”として喜々として語られており、一片の反省の気持ちも感じられません。読んでいて気分が悪くなり、途中で読むのをやめたぐらいです。



こういった証券会社の度し難いイカサマ体質を一般庶民は正確に見透かしているのです。それこそが「株式市場なんてインチキ」という声の意味です。そして今回の野村證券による不祥事は、証券会社のイカサマ体質が、依然として改善されていないことを明らかにしたといえるでしょう。この問題が本当の意味で改善されない限り、日本で株式投資への信頼が回復することはないと思います。今後、庶民の資産形成の重要性が一段と高まる中、その中核となるべき株式投資への信頼を回復させるためには、日本の証券会社が持つイカサマ体質への粛正が不可欠だと改めて感じました。

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