金融庁が9月に出した「平成27事務年度金融レポート」によると、国民へのアンケート調査で「投資教育を受けたことの無い者の割合が約7割。そのうち3分の2は、「そもそも投資の知識は不要」との考え」だったそうです。こうした調査結果に対してレオス・キャピタルワークスの藤野英人社長が次のような記事を書いています。
投資嫌いの日本 変革のチャンス(藤野英人)(NIKKEI STYLE)
藤野氏が指摘するように、多くの日本人は“投資嫌い”なのでしょう。それは、正しい金融知識を学ぶ場が日本ではあまりにも少なかったからでは。もっと言うと、金融や投資につて学ぼうとすると“正しくない金融知識”を吹き込まれる危険性すらあるわけです。そうなると、まともな感覚の持ち主なら”投資嫌い”になるのが正常な反応だとさえ言えます。だからこそ、金融や投資について正しい知識を学ぶ機会がもっと必要なのです。
金融レポートを受けて藤野氏は日本人の約半分が金融知識に対して「積極的に無知であろうとしている」として、その理由を次のように分析しています。
この背景には日本人の投資嫌いの根深い精神があるように思います。金融の知識を持つことは人として良くないという考え方です。では、なぜ「金融の知識を持つことは人として良くない」と考える人が多いのでしょうか。もともと東洋的道徳観では、額に汗をかいてモノを生産する仕事を実業と考え、金融や投資は虚業だとする労働観があるという文化的な背景はあるのでしょうが、やはり庶民が正しい金融の知識を学ぶ機会が圧倒的に不足していたからではないでしょうか。もっというと、これまで庶民に提供されていた”金融知識を学ぶ機会”の実態が、あまりに酷すぎたともいえるのです。
例えば現在、庶民が金融知識を学ぶ機会として主流なのは金融機関などが提供するセミナーなどでしょう。しかし、金融機関が無料で提供するセミナーのほとんどは、自社の高コストな“ボッタクリ商品”を売るための営業の場であることが少なくない。さらに金融機関ではない団体がセミナーを開くケースもありますが、これに至っては悪質な情報商材屋のセールスの場である危険性まであるのです。ようするに金融知識を学ぶ場であるはずのものが、金融機関や情報商材屋のハメ込みの狩場になっているのです。
こういう現実があるのだから、国民の半数が金融知識に対して「積極的に無知であろうとしている」ことは、ある意味で庶民の知恵として正しいのです。“君子危うきに近寄らず”で、金融や投資に興味を持たないということが、悪質なハメ込みから身を守る手段として機能している(なにしろ最近の情報商材屋は悪質な洗脳手法まで駆使していますから、接触するだけで危険なのです)。それが「金融の知識を持つことは人として良くない」という発想の意味です。つまり金融の知識を持つ人というのは、庶民からすれば"人をハメ込むかもしれない危ないヤツ"と思われているということで、それはある意味で正しいともいえる。
しかし今後は、こういった"庶民の知恵"が通用しなくなる可能性があります。なぜなら日本経済の在り方が変わりつつあるから。日本は労働人口も減少しますし、国内需要も縮小する。そういった成熟経済の下では、経済のフローを拡大するためには、これまでのストックをどれだけ有効活用できるかが問われる。つまり、モノを生産するのと同様に投資活動によるフローを増やす必要がある。これは個人の家計レベルでも同様でしょう。しかも日本のような先進国はどこも投資活動によるフローのウエートが大きくなっていますから、投資などによってきちんと資産形成した人としなかった人では、将来の格差が極めて大きくなる危険性がある。それは国としても困るのです。格差の拡大は社会秩序を破壊する最大の要因ですから。
だから最近、国は金融機関などによるボッタクリやハメ込み行為を厳しく指導・監督し始めました。べつに国民が可哀想だからそうしているわけではありません。国力を高めるためには国家全体で投資活動を活発化させなければならず、その妨げとなる日本人の"投資嫌い"を改善するためには、その原因である金融機関の無法を叩き潰さなければならないという国家理性に基づく判断だと思います。個人型確定拠出年金(iDeCo)の拡大や積立NISAの創設なども、突き詰めると全てこうした国家理性の基づく動きだと理解できます。
こうなってくると、正しい金融知識を学ぶ場が一段と必要になってきます。金融機関や情報商材屋のハメ込みの狩場ではない学びの機会が必要なのです。先日、私が代表幹事を務める地域の産別労働組合の協議会団体で独立系FPを講師に招いてライフプランセミナーを開催しましたが、そこでもそういったことをしみじみと感じました。それまで投資の話題になると「胡散臭い」といって聞く耳を持たなかった組合仲間が、本気で金融や投資について勉強しようという気になっています。やはり、正しい金融知識を学ぶ場さえあれば、日本人の"投資嫌い"は克服できるのです。それは同時に、金融機関や情報商材屋によるハメ込み行為から身を守る手段にもなる。さらに悪質な投資詐欺からも身を守ってくれます。
あとは、正しい金融知識を学ぶ場を誰が提供するかです。その意味で、企業や労働組合といった社会の中間団体の役割が大きいと思う。企業型確定拠出年金を導入する企業も増えていますが、そこでは投資教育の実施が義務付けられています。これをもっと強化する必要があるでしょう。労働組合も、もっと組合員の家計を直接助けるための情報発信を行うべきなのです。
あるいは金融機関と利害関係のない投資家の自主的なサークルやクラブ・サロン的な集まりも大きな意味を持つと思います(このブログも、そういった役割を少しでも担えればと思っていますが・・・)。そして最終的には、学校教育や家庭教育の中で金融に対する知識を獲得できるようにならないといけないと思うのです。そうなれば、今度は正しい金融知識が"庶民の知恵"として機能し始めるはずです。