2018年9月18日

再現性のない投資手法は他人に勧められません



先日、「「暴落したら全力買いだぜ」が実行できるほど現実は甘くない―リーマン・ショックから10年に寄せて」という記事を書いたところ、多くの読者から“いいね!”をいただきました。どうもありがとうございます。やはりリーマン・ショックから10年で、みなさんいろいろと思うところがあるのだなと実感しました。一方で「暴落時に全力買いできなければ、“億り人”になるような成功を収めることができない」という指摘も受けました。この指摘は全く正しい。私もその通りだと思います。ただ、私がそういったことをあまり声高に主張しないのは「再現性のない投資手法を他人に勧めるのはよくない」という思いが強いからです。

投資でも投機でも価格変動から利益を得るというのは、突き詰めると「安く買って高く売る」ということに尽きます。そうなると、投資で大きく儲けるためには、資本主義が崩壊するのではないかと思えるぐらいの経済危機で株価も暴落したとき、それこそ全力買いするような人が最も大きなリターンを得るのは間違いありません。そして、実際に株式投資で大きな成功を収めた人というは、多くがそういった修羅場をものにしているわけです。

ところが、こういった投資手法の問題は、暴落時に全力買いしたからといって、全員が大成功するわけではないということです。選択した投資対象の低迷が予想以上に長引き、なかには途中で資金が尽きたり、あるいは心が折れてしまったりして退場する人も少なくないでしょう。それこそ相場が回復する前に寿命が尽きてしまった人もいるかもしれません。そんな中で、不屈の精神力と資金力、そして生命力を持つ人だけが「暴落時の全力買い」によって大きな利益を得る。その足元は死屍累々だとしても。

つまり「暴落時の全力買い」で成功するかどうかというのは結局のところ個人の資質による。良く言えば才能があるからであり、悪く言えばちょっとサイコパスな傾向があるから大成功できるのでしょう。そして、成功が個人の資質による以上は、その投資手法による成果に再現性がありません。ある人が成功したからと言って、同じ手法の別の人が同じように成功するとは限らないのです。これは「暴落時の全力買い」に限らず、個別株の短期売買やレバレッジをかけた信用取引、あるいはFXなどのように、日本で“いわゆる投資”と思うわれているほとんどの手法に当てはまります。

私は、軽々に他人に投資を勧めてはいけないと考えています。投資というのはどこまでも自己責任の原則が貫徹される営みですから、たとえ他人の意見に影響されて投資を始めたとしても、損失を被れば投資家本人がその損失すべて負わなければなりません。そういう厳しい現実があるから、投資に関してあまり無責任なことを言うのが心苦しいし、言うべきでもないと思ってしまう。そうなると、とくに再現性のない投資手法は他人に勧められません。

だから、私は「暴落時に全力買いしろ」とはとても言えないし、個別株の短期売買やレバレッジをかけた信用取引、あるいはFXや仮想通貨などを他人に勧めることも絶対にしないようにしています。控えめに勧めることができるのは、せいぜいインデックスファンドによる長期・積み立て・国際分散投資や個別株でも優良銘柄の長期保有ぐらいです。こうした投資手法は、過去の実績が将来の結果を約束しないという意味で通時的な再現性はありませんが、少なくとも同じ時期に同じ手法を取っている人が同じような成果になるという点で共時的な再現性は期待できると思うからです。

私が「「暴落したら全力買いだぜ」が実行できるほど現実は甘くない」と指摘したのも、そういう発想で継続する投資手法の方が再現性があると思ったからにほかなりません。そして、それは他の投資手法を否定するものでもありません。腕に自信のある人は、どんな投資手法でも挑戦すればいいのです。それが投資という営みの深みであり、面白さでもありますから。ただ、私は「再現性のない投資手法は他人に勧めない」ということを投資について語る際の最低限の倫理として意識しているというだけです。

そして、私がこうやって投資ブログを書くことができるのも、インデックス投資や優良個別株の長期保有といったある程度は共時的な再現性が期待できる投資手法をテーマにしているからです。もし私が個別株の短期売買やFX、あるいは仮想通貨などをテーマにしたブログをやっていたら、きっとポジショントーク満載の買い煽り・売り煽りに終始する内容になったことでしょう。

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