2021年3月8日

公的年金の積立金をすべて国債で運用するとどうなるか

 

現在、日本の公的年金制度は現役世代が納める保険料を原資として受給者への年金支払いに充てる賦課方式が採用されています。その上で収支のバランスをとるための調整弁として過去に積み上げた資金を運用しているのが年金積立金管理運用独立法人(GPIF)です。GPIFの運用は国内外の株式と債券に投資することで行われているのですが、「国民の年金資金を株式に投じるのはケシカラン。100%安全な国債で運用すべき」という批判が常に寄せられています。そして、年金積立金を株式に投じることを批判する人の中には、その根拠として「米国では公的年金基金が株式で運用するを禁止している」と指摘する人もいます。これは確かに事実です。では、公的年金の積立金すべてを国債で運用している米国の現実はどうなっているのか。なかなか興味深い報告が出てきました。

米国は日本のような国民皆年金制度はありませんが、被雇用者と一定額以上の収入がある自営業者が加入する基礎年金制度として退職・遺族・障害保険制度(OASDI:Old-Age, Survivors, and Disability Insurance)があります。日本の国民年金に当たるもので、保険料は社会保障税として徴収され、自営業者は全額自己負担、被雇用者は労使折半で負担するのも日本と同様です。そして、やはり賦課方式で運営されています。ただ、日本のように国費(税金)は投入されていません。

OASDIも収支のバランスを維持するために過去に積み上げた資金をソーシャルセキュリティ信託基金として運用し、各年度の年金収支が赤字の場合は、基金を取り崩して年金制度を維持してきました。そして、このソーシャルセキュリティ信託基金は全額を特殊な米国債・政府保証証券で運用することが義務付けられており、株式での運用は認められていません。

このように米国の基礎年金基金の運用は極めてコンサバティブな制度となっているのですが、それが現在、大きな問題になっているのです。もともとベビーブーマー世代の退職によって支出が収入を上回る状況が続いている中、信託基金の利回りは低下を続けたことで取り崩しのペースが速まり、枯渇の危機に瀕しているのです。2013年にソーシャルセキュリティ信託理事会が出した報告書では2033年には基金が枯渇する可能性が指摘されました。そして現在、事態の深刻度は一段と増しています。2020年9月に米連邦議会予算局が発表したレポートが、ソーシャルセキュリティ信託基金の枯渇時期を2031年とさらに前倒しして予想しているのです。

The Outlook for Major Federal Trust Funds: 2020 to 2030(The Congressional Budget Office )

基金の枯渇予想時期が前倒しされた理由は、やはり新型コロナウイルス禍の影響です。失業者の増加や加入者の収入減で社会保障税収が減少する一方、年金受給者はますます増加するというバブルパンチに見舞われました。そのギャップを埋めるために信託基金の運用があるのですが、こちらも未曽有の金融緩和によって国債の利回りが一段と低下し、ますます運用益が少なくなっています。このため、このままではあと10年で基金が枯渇します。そうなると年金制度を維持するための対策は限られています。社会保障税(保険料)を引き上げるか、給付額を減らすか、あるいは国費(税金)を投入するかです。いずれも極めて政治的ハードルが高いすから、今後の大きな政治的イシューになるでしょう。

こうした米国の現実を見ると、「国民の年金資金を株式に投じるのはケシカラン。100%安全な国債で運用すべき」という意見が極めてナイーブなものだということが分かります。少なくとも現在の経済情勢において「公的年金の積立金をすべて国債で運用するとどうなるのか」を米国の事例は示しているでしょう。何しろ米国債は利回り低下と言えども長期金利は1%を軽く超えているのに対して日本国債のそれはマイナスですから(ちなみに米国にはもうひとつ社会保障税収拡大のためのに「移民」という日本では採用が難しい特異なファクターも存在します)。

結局、公的年金制度というのは各国それぞれが所与の条件の中で可能な制度を構築してきた歴史があるということです。このため、各国それぞれの悩みがある。これは公的年金制度を構築してきた先進国の宿命です。そして、いまだ制度が未整備な新興国にいたっては、それ以前にまず制度を構築するための悩みがある。だから、各国の事情をよく調べずに、単純に海外事例を挙げて自国の制度を批判するというのは、それほど簡単なことではないわけです。

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