日本で公的年金制度が話題になると、かならず「日本の年金制度は破綻している」などと頓珍漢なことを言ったり書いたりする人が登場します。それを煽るマスコミや政治家、自称専門家もボウフラのように湧き、騙された市民が「年金返せデモ」まで始める始末。このため冷静で合理的な論議の土壌自体が失われ、日本における年金論議を不毛なものにしてしまう。では、なぜ頓珍漢な「年金破綻論」が蔓延するのか。ひとつは隠された政治的意図があるからですが、もう一つは公的年金制度に対して無知だからです。例えば海外の公的年金制度との比較という視点が決定的に欠けている。先進国はどこも公的年金制度の維持に苦労していて、大変な努力をしている。日本も例外ではありません。なにも日本の公的年金だけが特別に脆弱というわけではありません。逆に先進国に共通した対策を堅実に実行してさえいるのです。その面から言えば、日本の公的年金制度というのは「破綻」どころか、先進国の平凡な一例でしかないのです。それは否定されるものではなく、誇るべきことです。
公的年金制度の国際比較として厚生労働省年金局が分かりやすい資料を作成しています。2018年7月の第3回社会保障審議会年金部会に提出された「諸外国の年金制度の動向について」と題する資料です。
「諸外国の年金制度の動向について」(厚生労働省)
各国の年金制度に関してはOECDが定期的に国際比較調査を実施しており、厚労省の資料はこのOECDの調査の一部をまとめたものです。このためご都合主義の内容にはなっていません。日本と米国、英国、フランス、ドイツ、スウェーデンが比較され、様々な示唆を与えてくれる資料です。例えば日本の公的年金が破綻する理由としてよく挙げられる「賦課方式」ですが、国際比較ではスウェーデンが賦課方式を基本に一部積立方式を併用しているほかは、米国、英国、フランス、ドイツいずれも日本と同じ賦課方式です。積立方式と賦課方式のどちらがいいのかというのは、世界的には既に“終わった議論”だということが分かります。
年金給付額を経済情勢や年金財政に合わせて自動調整する「マクロ経済スライド」も年金減額制度だとして批判されていますが、同様の仕組みはスウェーデンやドイツでも導入されていることが紹介されています。そして支給開始年齢に関してもほとんどの国が65歳以上に引き上げることを決定しています。ここでも日本の公的年金に特殊性はありません。やはり世界的に普通のことをしているだけです。
公的年金でどれだけの老後資金を担保できるのかという点では所得代替率が問題になりますが、この点に関しては日本、米国、英国、フランス、ドイツ、スウェーデンのほか、カナダ、イタリア、オランダ、デンマークを加えた10カ国の比較が参考として紹介されています。これも非常に面白い結果です。所得代替率に関して厚労省は世帯ベースで50%を維持すると表明していますが、OECDの計算は個人ベースであり、しかも日本の数字はマクロ経済スライド実施後の数値で計算されているためかなり厳しい数字となっていて、それだけによりリアルな分析だともいえます。
OECDの計算では日本の公的年金の個人ベース所得代替率は34.6%。米国38.3%、英国22.1%、カナダ41.1%、ドイツ38.2%、スウェーデン36.6%となります。だいたい30~40%というところですが、これらの国はいずれも保険料率が10~20%まで。日本は特別に低水準というわけではなく、やはり平凡なのです。一方、フランスとイタリアは所得代替率がそれぞれ60.5%と83.1%と高いのですが、保険料率も25~30%超と高水準。つまり、公的年金による所得代替率を高めるには保険料率を上げるしかないという、やはり平凡な結論が分かります。
もうひとつ所得代替率の国際比較で注目すべきは私的年金の存在でしょう。所得代替率が30~40%しかない国は、いずれも私的年金によって公的年金の不足を補っている。オランダ、デンマークなどは極端で、公的年金の所得代替率が15~30%(その代わり保険料率も低い)しかないかわりに強制加入の私的年金を設けて高い所得代替率を実現しています。
いずれにしても、これら国際比較から見えてくるのは、決して日本の公的年金は特殊ではないということ。どちらかと言えば平凡です。しかし、よくよく考えればこれは当たり前です。そもそも公的年金というのは(少子高齢化など各国の事情も織り込んだ)数理計算に基づいて設計されるので、どこの国でもやれることは限られている。似たような性能にしかなりえない。だから、性能が平凡であるというのは正しい制度設計になっているということの現れですらあります。
そして、この平凡な日本の公的年金が「破綻している」なら、先進国の公的年金のほとんどが破綻していることになります。つまり、日本で年金破綻論を唱える人の多くは国際比較という視点を持っていない。それは議論として致命的です。あらゆる研究・検討の基本は“比較”から始まるのですから。
厚労省の資料を基に思いつくことを書きました。この資料はほかにも様々な示唆を与えてくれますから、公的年金について議論したり、論じたりしたい人はぜひ読んで欲しいと思います。その上で最後に、この報告書に書かれているもっとも重要なポイントを挙げておきます。それは最初の総論部分。ここではOECDの報告書が指摘する先進国の年金制度に共通する課題として「給付の十分性」と「制度の持続可能性」が矛盾するという「年金のパラドクス」が紹介されています。これこそが年金問題の本質なのです。そして、このジレンマから抜け出す解決策として次の3点を挙げています。
① 就労期間の長期化 → 支給開始年齢の引上げ(保険料拠出期間の延長)や早期退職インセンティブの廃止なんのことはない。専門家の間では年金問題の解決策は、既に答えが出ているのです。あとは、これらを実現するためのテクニカルな方法論を議論するだけであり、実際に日本の年金改革もこの方向に沿っているだけにすぎません。それは平凡ですが、正しいことでしょう。
② 公的年金の支給努力の対象を最も脆弱な人々におく → 老後所得保障制度における再分配の実施
③ 公的年金給付の削減を補完する私的年金等の奨励 → 若者や低所得者層に対する私的年金のカバー率の向上
そしてもうひとつ、LSE(ロンドンスクールオブエコノミクス)のニコラス・バー教授がIMFで講演した内容の一部が紹介されています。ここで「生産物が中心」という考え方が登場しますが、これこそ世界中の専門家の間で常識となっている考え方です。これによれば「積立方式」と「賦課方式」の違いなどは「単に、将来の生産物に対する請求権を制度化するための財政上の仕組みが異なるに過ぎない」。だから「『積立方式』か『賦課方式』か」など議論している段階で専門家からすれば落第点の素人談義なのです(ちなみに「生産物が中心」という考え方については権丈善一先生が『ちょっと気になる社会保障 増補版』の中で丁寧に説明してくれています)。
そして、バー教授は年金財政問題の解決策は4つしかないと指摘しています。最後にこれも引用しておきましょう。これも既に専門家の間で結論が出ている極めて重要な指摘だからです。
もし年金の支払いに問題がある場合、4つそしてただ4つだけの解決策がある。専門家の間では既に“終わった話”を振り回して「幻想」を振り撒くデマゴーグから自由になるために、日本人はあらためて年金や社会保障について勉強をするべきなのです。
・平均年金月額の引下げ
・支給開始年齢の引上げ(年金引下げの別の手法)
・保険料の引上げ
・国民総生産の増大政策
これらのアプローチが含まれていない年金財政改善方策は、いずれも幻想である。
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