2019年7月26日

「投資教育」以前に日本人に必要不可欠なリテラシーは「税と社会保障」そして「労働法規」だ



経済コラムニストの大江英樹さんが非常の納得のできる記事を書いています。

「投資教育」以前に日本人に必要不可欠な金融リテラシーとは何か(ダイヤモンドオンライン)

日本人に決定的に不足しているのは「税と社会保障」の知識だというのが大江さんの指摘。まったくその通りで、いくら資産形成と投資を普及させようとしても、そもそも資産形成の大前提である税と社会保障の知識を欠いたままでは笊で水を汲むようなものなのです。その上で私は、日本人が絶対に知っておくべき知識としてもう一つ付け加えたいテーマがあります。それは「労働法規」に関する知識です。そもそも資産形成の大前提は「労働」による収入の確保ですから、労働者を守るための労働法規に関するする知識がないと資本家にいいように搾取されてしまうのです。

日本と米国を比較して、日本は投資リテラシーが米国よりも低いといった指摘がありますが、大江さんによると実際はそれほど大差ないそうです。では、米国人にあって日本人に欠けているものは何か。大江さんは「自立心」だと指摘します。これは経済的に自己責任原則が強いというだけの意味ではありません。米国に限らず欧米の民主主義社会では、国民それぞれが「自立した市民」として社会の構成員たることが求められるということです。

そうした「自立」意識の差が具体的には「税と社会保障」に関する知識の差となって表れているのでしょう。税と社会保障はいずれも社会的な再分配と相互扶助のシステムです。そして、社会の構成員として主体的な意識を持つ「自立した市民」は、こうした再分配と相互扶助のシステムを他人事ではなく“自分事”として意識するのは当然です。だから自立した市民は税と社会保障について意識するし、突き詰めると政治に関心を持つことになります。

日本では、いわゆる“老後資金2000万円問題”など奇妙な議論がときおり起こるのですが、これも突き詰めると日本人が社会保障に関する知識が決定的に欠けているからでしょう。さらに選挙の投票率の低さが問題となっていますが、これも根本的な要因は税に関する認識不足があります。そもそも民主主義の起源は、税の徴収と使い方を国民が自分で決めていこうとしたことにあるのですから。

だから、大江さんが指摘するように「投資教育」や「金融教育」の前に税や社会保障に関する教育を学校や社会全体で行うことが必要でしょう。ちなみに私は以前からサラリーマンも確定申告をするべきだと主張しているのですが、その理由は払いすぎた税金を取り戻せるだけでなく、なにより税に関する知識が飛躍的に高まる効果があるからです(米国人が税に詳しくなるもの、源泉徴収制度がなく、個人で税務申告をしなければならないからです)。

その上で、日本人がぜひ身に着けなければならないリテラシーとして「労働法規」の知識を付け加えたいと思います。なぜそう思うのかと言うと、そもそも日本でブラック企業などが問題化するのは、国民全体に労働法規に関する知識が貧弱で、そこを悪徳企業に突かれているからです。例えば最近も次のような記事を読みました。

タニタ社長「社員の個人事業主化が本当の働き方改革だ」(日経ビジネス)

雇用関係にある労働者を個人事業主として独立させ、業務委託契約とするのが「働き方改革」だそうです。しかし、個人事業主として業務委託契約を結ぶ関係になると、労働基準法など労働法規は適用されなくなります。はたしそれが労働者にとって良いことなのか。確かに労働者が多様な働き方を求めるのは悪いことではありません。しかし、個人事業主と契約するなら、企業と個人事業主は対等な関係でなければならず、雇用契約から業務委託契約への変更には正確な条件提示が大前提となります。この点に関してタニタの社長のインタビューには看過できない発言がありました。
会社から受け取る報酬は全員が増えました。社員時代に会社が払っていた社会保険料や通勤交通費は報酬に含めて払っています。あくまで現時点での試算ですが、タニタの厚生年金と同じ水準の民間の保険に入った場合の支出を加味しても、独立した人の手取りは増えました。
嘘をつくな、嘘を。「厚生年金と同じ水準の民間の保険」など日本には存在しません。民間の保険に入っても手取りが増えるのは、公的社会保障よりも保障内容が低下したからです。まさに日本人が社会保障に関する知識が乏しいことを逆手にとってのやり方であり、さらに業務請負契約にすることで労働法規の適用を逃れようとしていると批判されても仕方ないでしょう。やはり日本人が労働法規に関する知識が乏しいことを利用し、明らかに企業側のメリットが大きいやり方なのです。そもそも、平気で嘘をつきながら、それをメディアにに恥ずかしげもなく話す段階で、業務委託契約に変更する従業員に対して誠実で正確な条件提示などしていないと想像できます。

実際に企業が従業員の雇用契約を個人事業主としての業務委託契約に変更するやり方は、これまでも多くの労働問題を引き起こしています。例えば次のような事例があります。

個人請負という名の過酷な”偽装雇用”(東洋経済オンライン)
冠婚葬祭業に蔓延する「個人請負」の深い闇(同)

そして、こうした企業の狡猾な罠に労働者が引っかかってしまうのは、やはり労働法規に関する知識が不足しているからです。これは、そのほかのブラック企業問題にも当てはまります。さらに言うと、労働者としての「自立心」が足りないのです。自立した労働者は、自らの権利を守るために自ら行動しなければなりません。“権利の上に眠るものは保護に値せず”なのです。そして、労働者が自らを守るための武器が労働法規に関する知識です。

こうしたことを考えると、やはり「投資教育」や「金融教育」よりも先に「税と社会保障」そして「労働法規」に関する教育が必要でしょう。それこそ学校教育や新社会人教育の中で「税」「社会保障」「労働法規」に関して徹底的に学ぶ機会を作ることが必要なのではないでしょうか。

【ご参考】
日本の社会保障制度について勉強するなら、権丈善一先生の『ちょっと気になる社会保障 増補版』が最良の入門書です。また、iDeCoも含めて現在の公的年金制度を徹底的に利用するための戦略書として田村正之さんの『人生100年時代の年金戦略』が非常に網羅的にまとめられていてお勧めです。

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