2018年9月2日

「iDeCoの引き出し可能年齢が60歳から65歳に引き上げられるかも」という指摘は勇み足では



老後資金を用意するのに非常に有利な税制優遇措置がある個人型確定拠出年金(iDeCo)ですが、ここにきて新たな制度改正の動きがあります。現在、掛金は60歳までしか拠出できないのですが、厚生労働省はこれを65歳まで引き上げることを目指しているとか。既に新聞報道もありました。

確定拠出年金、65歳まで加入延長を検討 厚労省(日本経済新聞)

加入者資格喪失年齢が65歳まで引き上げられれば、税制優遇期間と給付時の税控除額も大きくなるので、加入者にとっては極めてメリットの大きい改正といえます。ところが今回の報道を受けて、個人ブログやSNSで「iDeCoで積み上げた資産の引き出し可能年齢が現在の60歳から65歳に引き上げられるかも」と心配する声が上がっています。こうした指摘は、やや勇み足ではないでしょうか。

今回の制度改正案の元々の出所は恐らく総理大臣の諮問機関である規制改革推進会議が6月に出した「規制改革推進に関する第3次答申」でしょう。

規制改革推進に関する第3次答申~来るべき新時代へ~(内閣府)

非常に網羅的で大部な答申ですが、この中でiDeCoだけでなく企業型も含めた確定拠出年金(DC)制度の改革として次のように答申しています。
(11)確定拠出年金に関する規制改革
確定拠出年金は、公的年金とあいまって国民の高齢期の所得確保を図るための年金制度である。公的年金の中長期的な給付調整が行われる見込みであるところ、平成29年1月から、原則、全ての国民が確定拠出年金に加入できるようになり、その重要性は一層高まっている。こうした中、加入者のニーズに応え利便性の向上を図る観点から、加入者資格喪失年齢の引上げや金融機関職員の兼務規制の緩和と、同制度の普及・拡大に資する方策について検討を行い、検討の成果を取りまとめた。

① 個人型確定拠出年金の加入者資格喪失年齢の引上げ
【平成30年度検討準備開始、準備でき次第検討、施行後5年(平成34年1月)を目途とした見直しまでに結論】
確定拠出年金は、公的年金とあいまって国民の高齢期の所得確保を図るための年金制度である。確定拠出年金法(平成13年法律第88号)において、個人型確定拠出年金の加入者資格喪失年齢(掛金を拠出できる年齢の上限)は60歳と定められている。また、高齢社会対策大綱(平成30年2月16日閣議決定)において「希望者全員がその意欲と能力に応じて65歳まで働けるよう安定的な雇用の確保を図る」とされていることから、個人型確定拠出年金の加入者資格喪失年齢の引上げを検討すべきである。
したがって、個人型確定拠出年金の加入者資格喪失年齢を65歳に引き上げることについて検討し、確定拠出年金法等の一部を改正する法律(平成28年法律第66号)附則第2条に定められた施行後5年(平成34年1月)を目途とした見直しまでに結論を得る。

② 企業型確定拠出年金の加入者資格喪失年齢に関する見直し
【平成30年度検討準備開始、準備でき次第検討、施行後5年(平成34年1月)を目途とした見直しまでに結論】
確定拠出年金法において、企業型確定拠出年金の加入者資格喪失年齢は原則60歳であり、規約で定めることで、60歳前に勤務している事業所と同一の事業所に継続して雇用される者については、65歳まで加入者資格喪失年齢を引き上げることはできる。65歳までの雇用の確保のため、60歳以降は同一企業グループ内に転籍するケ ースは珍しくないが、現行制度では転籍者は掛金の拠出を継続できないこととなり、 企業の実態と合っていないとの指摘もある。したがって、企業型確定拠出年金の加入者資格喪失年齢を見直し、同一の企業グループ内で転籍した加入者については、60歳以降も加入可能とすることについて検討し、確定拠出年金法等の一部を改正する法律附則第2条に定められた施行後5年(平成34年1月)を目途とした見直しまでに結論を得る。

ようするに定年退職年齢が65歳となった現状に対してDC制度全般を整合化しようということです。勘のいい人なら気づくと思いますが、この加入者資格喪失年齢の問題はiDeCoよりも企業型DCで早くから問題化しており、既に同一事業所で継続雇用される場合は65歳まで加入者資格喪失年齢を引き上げることが可能になっていました。しかし、それでは問題の根本が解決しませんでした。

なぜかと言うと、例えば同じ企業型DCに加入しているAさんとBさんがいたとします。60歳以降にAさんは同じ企業で継続雇用されたけれども、Bさんは関係会社などに転籍という形で雇用延長された場合、Aさんには企業が引き続き企業型DCの掛金を拠出するのに、Bさんにはそれがなされず、不公平ではないかという話になるからです。そこで同一の企業グループ内で転籍した加入者についても60以降もDCに加入可能とするべきだというのが答申の趣旨です。

すると今度は、企業型DCの加入者資格喪失年齢が65歳になるならiDeCoもそれに合わせるべきだという議論になるのは当然です。例えばAさんやBさんと同僚だったCさんは60歳で今の会社を退職し、企業型DCの無い別の会社に再就職したとする。このときにiDeCoに加入できれば、再就職後も公的年金が支給される65歳まで自分で掛け金を拠出してDC資産を増やすことができます。

また、もともとiDeCoに加入していた企業年金の無い会社員も定年は65歳になっていますから、やはり65歳まで加入できなければ老後資金に格差を生じさせる懸念がある。自営業者にいたっては定年自体がありませんから、やはり加入者資格喪失年齢が引き上げられた方が、より多くの老後資金を用意する手助けになります。

こうしたことを考えると、今回のDC加入者資格喪失年齢の引き上げというのは、非常に整合性のとれた公平な案になっている。少なくともDCは国民年金や厚生年金など公的年金を補完する制度ですから、公的年金の受給年齢が65歳になるのに合わせてDCに拠出できる年齢も引き上げることには整合性があるし、そうあるべきなのです。

給付可能年齢も65歳に引き上げられるのか


ここまでは非常に明快な話なのですが、問題は今回の改正案に対して「給付可能年齢も現在の60歳から65歳に引き上げられるのではないか」と心配する人がいることです。しかし、答申のどこを読んでも給付年齢についての言及はありません。今回の制度改正答申のポイントは、あくまで「加入者資格喪失年齢の引き上げ」であって、「給付可能年齢」ではなさそうです。それに、既に現行のiDeCoでも給付開始年齢は60歳から70歳までの間で加入者が自由に選べるようになっています。

そもそもDCには給付可能年齢を引き上げることに制度上の意味もありません。なぜならDCの資産というのは個人勘定による積立方式の年金資産のため、給付年齢を引き上げたからといって制度維持などへのメリットがないからです。逆に給付年齢を引き上げると、税制優遇期間と給付時の税控除枠が拡大するため、政府からすればデメリットになります。税務当局からすれば、給付可能年齢を引き下げたいぐらいでしょう。そうすればDCの資産が課税口座に移動し、そこから税金を徴収できるからです。

こうした誤解が生じる原因は、恐らく国民年金や厚生年金といった公的年金と、DCの根本的な仕組みの違いを理解していないからでしょう。公的年金は、現時点の現役世代が拠出した保険料がそのまま年金受給者に給付される賦課方式です。そこでは「収支相当の原則」という保険の原理に従って年金資産に個人勘定持分は存在しません。このため少子高齢化などによって保険料の拠出者が減り、受給者が増加すれば、やはり収支相当の原則に従って保険料引き上げ、給付減額、あるいは給付年齢引き上げのいずれか、あるいは全てを実行しなければ制度を維持できません。こうしたことがDCにもあると誤解されているわけです。

しかし、冷静に仕組みの違いを理解すれば、DCの加入者資格喪失年齢が引き上げられるからといって給付可能年齢も同時に引き上げられるとは考えにくい(もちろん、微調整はあり得るでしょう)。それどころか、日経新聞が指摘するように財務省は加入者資格喪失年齢の引き上げに反対するでしょうから、もしかしたら厚労省との交渉の中で妥協案として加入者資格喪失年齢の引き上げと同時に、給付可能年齢の引き下げ(その方が税制優遇期間と税控除の縮小になり、財務省としてはありがたいですから)が行われてのおかしくないくらいです。なので、今の段階でこうしたことをことさらに心配して、憶測で発言することはいささか勇み足と言わざるを得ません。今回の問題に対しては、まずは今後の政府の動きや発表について冷静に見ていくことが重要ではないでしょうか。

DCも含めて年金制度というのは極めてセンシティブな問題ですから、やはり何か書いたりするときは正式な一次ソースをよく確認した上で慎重に発言することが大切です。憶測でモノを言っては、いらぬ混乱を引き起こしたり、ミスリードを誘うからです。日本ではこれまでも年金制度に対して政治家や評論家を含めた一部の人、そしてマスコミが仕組みについて理解不足にもかかわらず様々に無責任な発言を繰り返し、それが国民の間で制度に関する冷静な議論の基盤を失わせてきたという悲しい現実があるからです。私は個人ブログといえどもメディアのひとつだと考えているので、自戒を込めて強調しておきます。

【ご参考】
本稿とは少し話がずれますが、年金を含めた社会保障制度というのは極めて複雑なため、前提となる最低限の知識を共有していなと議論自体が成り立ちません。そこで社会保障制度について極めて分かりやすく、本質を捉えた入門書として権丈善一先生の『ちょっと気になる社会保障 増補版』を挙げたいと思います。これを読んで私は目から鱗が落ちました。関心のある方は、ぜひ一読を強く勧めます。

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