2018年3月25日

“積み立て投資vs一括投資”比較論の盲点



投資ブロガーなどの間で定期的に話題になるテーマに「積み立て(ドルコスト平均法)投資と一括投資は、どちらが有利なのか」というものがあります。この場合、有利・不利が何を指すのかによっても答えが変わってきますから、なかなか一概に答えを出しにくい。それゆえに定期的に話題になるわけです。ただ、“積み立て投資vs一括投資”比較論を議論する際に、案外と盲点になっているポイントがあるような気がします。それは、純粋な「投資」手法としての比較と、投資を含むトータルな「資産形成・運用」方法としての比較は異なるということです。

まず、積み立て投資と一括投資のどちらが儲かるのかというという分かりやすい視点ですが、これは「分からない」というのは基本的な答え。損益は投資対象の価格が投資期間中にどういった動きを見せるのかという“ボラティリティの形”に左右されるからです。簡単に言ってしまうと、右肩上がりの相場なら一括投資の方が儲かるし、右肩下がりの相場なら積み立て投資の方が損が少ない。下げ相場から上げ相場に反転する場合は、一括投資なら損のままだけれども積み立て投資なら儲かる場合がある。逆に上げ相場から下げ相場に転じたときは、一括投資ならまだ含み益が残っているのに積み立て投資は含み損に転落するといった場合もあります。相場の先行きが予想できない以上、積み立て投資と一括投資のどちらが儲かるかは「分からない」ということになります。

だから、問題になるのは投資効率という観点です。この点に関して最近、hiroakitさんが非常に興味深い研究を紹介してくれています(タイトルは煽り気味ですが、中身は極めて穏健な内容です)。

ドルコスト平均法という残念な宗教(ROKOHOUSE シーゲル流ロジカル投資術)

ここではバンガード社による論文“Dollar-cost averaging just means taking risk later”が紹介されていますが、いかにも米国の投資研究らしい統計による力業の分析が印象的で非常に勉強になります。これによると、あきらかに積み立て投資の方が一括投資よりもシャープレシオが低くなる傾向を示しています。つまり、積み立て投資の方がリスク1単位当たりの超過リターンが小さくなり、効率が悪くなっているわけです。

ここまでの考察は、純粋に投資手法の優劣の比較論としては正しい。では、やはり積み立て投資は効率の観点からも一括投資よりも劣るのでしょうか。じつはそうとも言い切れないのでは。そこには純粋な「投資」手法としての比較論では見落としてしまう盲点があります。それは、ほとんどの個人投資家にとって“投資に使えるお金は突然に湧いて出てくるようなものではない”という問題です。

これは身も蓋もない話だけれど、庶民が日々の生活の中で投資資金を捻出するのは並大抵のことではありません。だから、積み立て投資なら毎月少額ずつ投資することができるけれども、一括投資をするためには種銭を貯める時間が必要になります。例えば、ある人が月5万円ずつ積み立て投資を始めたとする。同じタイミングで別の人が一括投資をやろうとしてやはり毎月5万円を貯め始めた。1年後には前者は60万円をドルコスト平均法で投資したことになりますが、後者はまだ投資自体が始まっていない。さて、この1年間の「資産形成・運用」としての効率はどちらが優れているのか。

バカげた例に思えるかもしれませんが、投資を含めてた「資産形成・運用」の効率という観点で見ると無視できない問題を孕みます。バンガード社の研究を応用するなら、一括投資10年のデータに種銭を貯める期間1年を加えて、ドルコスト平均法による運用11年と比較しなければならない。実際に計算はしませんが、恐らく一括投資と積み立て投資の投資効率の差は、ぐっと縮まるでしょう。

つまり、純粋な投資効率としては、あきらかに一括投資の方が積み立て投資よりも優れるけれども、一括投資するために必要な資金を貯める期間まで考慮した「資産形成・運用」の効率としては、一概に積み立て投資が劣っているとは言えない。そして、人の一生には限りがある以上、資産形成できる期間も限りがあります。例えば30歳から60歳までの30年間で資産形成するとして、30年間ドルコスト平均法で積み立て投資した場合と、15年間で貯金した資金を一括投資で15年間運用する場合を比較して、30年間トータルのシャープレシオを比較するとどうなるのか。かなり面白い結果が出るのではないでしょうか。やはり「資産形成・運用」の効率という面でドルコスト平均法による積み立て投資というのは有効だし、庶民にとっては事実上、これしか方法が無いとも言えるわけです。

ちなみにhiroakitさんが指摘している「ドルコスト平均法がリスクを下げる」という誤解を招く言説が繰り返されるという“宗教”性については私も注意が必要だと思う。そして、そういった宗教性を流布させているのは、投資という世界における教会・司祭である銀行・証券でしょう。しかし、宗教をなくすために宗教そのものを批判しても、恐らく問題は解決しない。マルクスが『ヘーゲル法哲学批判』で「宗教はアヘンである」と書いて指摘したように、アヘンが必要とされる背景には、それによってでしか癒せない苦しみが存在するからです。投資の世界で言うならば、それは「儲けたい、損したくない」という気持ちであり、リスクへの恐怖です。だから、投資の世界から宗教性をなくすためには、「儲けたい、損したくない」という観点を超えた投資観を作り上げないといけないのです。

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