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2017年8月7日
将来、仕事が落ち着いたらやりたいことがある
相互リンクいただいているとよぴ~さんが、とても興味深いエントリーをアップしていました。
老後にやりたい目標ができたら不安や心配がなくなってきた(ほったらかし投資のまにまに)
とても味わい深い内容なので、ぜひ読んいただきたいと思いました。こういう感覚、私も大好きですし、大いに共感。サラリーマンである以上、いつまでも現役を続けることは難しい。“生涯現役”という人もいますが、そのためには高い能力・スキルが必要であり、すべての人がそういうわけにはいきません。ではリタイア後に何をするのか。とよぴ~さんが指摘するように「現役世代のうちから「何かしたい!」と思えるような趣味を見つけること」ができないと、意外と寂しい老後になってしまうような気がします。じつは私も将来、仕事が落ち着いたらやりたいことがあります。
私は一応、大学院の修士課程を修了し、修士(文学)の学位を持っているのですが、いろいろ事情があって博士課程には進みませんでした。そのことに対して別に後悔はしていないし、今の仕事もなかなか性に合っているので(安月給であることを除いては)とくに問題もなく普通のサラリーマン生活を送っています。
ただ、やはり研究をしていた者として、なんとも言えない不完全燃焼感がある。修士課程修了後、数年間ですが母校の付属研究所で特別研究員などやっていた時期もありましたが、とにかく金がない貧乏生活ながら精神的にはとても充実していたことを思い出します。だから、当時に加入した学会などは今でも年会費を払って所属し、最新の研究動向にも目配せは続けています。どこかで"研究している自分"を完全に過去のものしたくないからでしょう。
そんなわけで最近、ますます"もう一度、本格的に勉強し直したい"という気になってきました。もちろん今は時間的にも経済的にもそんな余裕はありません。だからこそ将来(定年退職後とは限らない)、仕事が落ち着いて時間にも余裕ができてきたら、もう一度、大学院に行きたいなと思う。そして、博士号の取得に挑戦したいのです。
そういったことをリアルに考えるようになったきっかけは、仕事で知り合った先輩たちの姿でした。例えば取引先のあるメーカーで営業や商品企画として活躍していた人は、定年退職後に大学院に入り、博士号を取得しました。退任後にやはり大学院で勉強し直して博士号を取得した取引先の元社長もいます。つまり、そういった学び方が日本でもごく普通になり始めているのです。しかし、よくよく考えればおかしなことではありません。学問に年齢制限はないのですから。
もちろん学問研究の世界は甘くないですから、思い付きで博士号なんて取れません。しっかりとしたテーマ設定と調査・研究が必要。そのために、じつは秘かに温めているテーマがあります。それは、私がかつて身につけた文学研究のメソッドと知識に、社会人として仕事の中で得た経験や知見を組み合わせることでやれるはずのテーマです。
ただし、大学院に行くには学費がかかりますし、研究にもお金がかかる。だから、将来のやりたいことのためにも、今はしっかりと資産形成をする必要があるともいえます。そんなことをつらつらと考えていると、とよぴ~さん言うように不安や心配はなくなってきます。やはり「現役世代のうちから「何かしたい!」と思えるような趣味を見つけること」は大切なのです。