すでに日経新聞などで報道されていますが、米国の大手運用会社であるブラックロックが実施したアンケート調査の結果が発表されています。
2017 BLACKROCK INVESTOR PULSE(ブラックロック・ジャパン)
日本の個人1000人(25歳~74歳、男性469名、女性531名。金融資産1000万円以上のマス富裕層382名を含む)から回答が分析されています。これを読んで改めて感じたのは、現代の日本人は、まさに不安と迷いの中にあるということです。こうした不安と迷いは、私にも経験があります。しかし、迷っているだけではいつまで経っても不安は解消されませんでした。そんなとき、私は思い切って国際分散投資に踏み出しました。一歩踏み出したとき、不思議と不安が和らいだ記憶があります。いまもし不安と迷いの中にあるのなら、思い切って世界への投資に目を向けてみてはいかがでしょう。もしかしたら、少し違った世界が見えてくるかもしれません。
ブラックロックの分析によると、日本人の資産形成に向けた意識として次の5つの傾向が明らかになったそうです。
1、日本人は過去の調査結果と同様、グローバルと比較して「自身の将来の経済状況」に対して悲観的であり、リスク要因については退職後を意識した回答が前回よりも大きく増えている。
2、57%の日本人が貯蓄から投資への移行を検討しているものの、現金比率は前回より増加し、75%と非常に高い。投資への確信や自信を持っている人がグロ ーバルと比較して少ないことも要因と考えられる。
3、退職後の資金準備に関しては、必要金額への理解不足のためか、日本はグローバルでみると遅れている。しかし関心は高まりつつあり、準備を始める人が増えている。
4、金融のアドバイスを受けている人は、グローバルと比較し依然低水準なものの、増加傾向にあり、制度の見直しによって増加に弾みがつく可能性もある。
5、テクノロジーを投資のための情報収集に活用している投資家は多い。テクノロジーのさらなる金融への活用が、遅れている退職後の資産形成を促す可能性が高い。
詳しくはレポート本文を読んでもらいたいのですが、ここに現れているのは、将来に向けた資産形成の必要性を認識しながらも、投資という手段に踏み出せない日本人の不安と迷いです。だからとりあえず貯金に励むわけですが、それでも一向に不安は解消されない。なにしろ日本はマイナス金利政策で歴史的な低金利時代です。投資に資金を回す必要性も認識しているけど、投資に対して自信が持てない。そういう悪循環の中にいるといえそうです。
一方、若い世代の間で少しずつ意識の変化も生じています。確定拠出年金への関心が若い世代でより高くなっていることがその象徴です。ファイナンシャル・アドバイザー(FA)に相談する人も増えていますし、やはり若い世代を中心にロボ・アドバイザーへの関心も高まっている。これらがどれだけの有効性を持つのかはおくとして、少なくとも投資に向けた一歩を踏み出そうとしている人が増えていることは確かなようです。
こうした人に対して、私はぜひ世界への投資に目を向けて欲しいと思う。これまで多くの日本人は投資に対して自信を持てなかったわけですが、ある意味でそれは当然のことでした。なぜなら、従来は日本人が投資するといっても、それは日本の個別株への投資が主流であり、実際に難易度が高かったのです。つまり、もっと簡単に投資できるインフラが整備されていなかった。
しかし、現在は事情が異なります。今ではインデックスファンドやETFを通じて誰もが簡単に世界中の資産に低コストで分散投資できるインフラが整備されました。DCなどはその代表例でしょう。これはたかだかこの10年ほどの動きです。だったら、このインフラを利用しない手はないのです。少なくとも、何もせずに不安に悩まされているぐらいなら、行動した上で不安と戦いたい。
確かに投資にはリスクがあります。元本割れは恐ろしいことです。そういった不安は私も含めて誰にだってあるのです。でも、それを乗り越えて世界への投資に目を向けたとき、いままでとはまったく違った世界が見えてきます。この感覚は、実際に投資を実行した人しか分からないでしょう。そして、いま漠然と抱えている不安が不思議と和らいでいくことも経験しました。
私は基本的に他人に対して投資を勧めたりはしません。投資はあくまで自己責任の原理が貫徹される世界だからです。でも、もし今、将来に向けて不安と迷いを感じている人がいるなら、立ち止まったままで迷い、不安に思うのではなく、一歩踏み出して迷ってみるのもいいのではと言いたい。つまり、極少額でいいから、世界への投資を経験してみてはどうかということです。一歩踏み出すためなら、FAやロボ・アドバイザーを活用したってかまわない。それは枝葉末節の問題だからです。
少なくとも立ち止まったままで、なにも行動を起こさないままでは、やはり問題も解決しないことだけは確かなのですから。