2017年7月23日

理想と正論を掲げることの大切さ



金融庁が金融機関に「顧客本位の業務運営」を求めていることに対して、あいかわらず「理想論に過ぎる」「現実を分かっていない」といった批判が存在します。じつに情けないことだと思うのですが、それでも運用業界の中にはきちんと事態の歴史的意義を理解し、真摯な姿勢で業界の正常化に努力しようという動きもあります。その1人がHCアセットマネジメントの森本紀行さんですが、このほど発表した文章を読んで感心しました。

顧客本位な金融機関は、そうでない金融機関に負けるのか(HCアセットマネジメント「fromHC」)

こういった徹頭徹尾、理想と正論を掲げようとする姿勢は大切ではないでしょうか。なぜなら、理想や正論は常に実行の段階で現実との間で蹉跌を生み、場合によっては妥協を余儀なくされるからです。だからこそ理想と正論を高々に掲げていないと、常に現状追認主義に堕落すると思えるからです。

森本さんの論考は一から十まで正論なのでなのですが、とくに重要なのは以下の部分でしょう。
差別性の全くないなかで、靴をすり減らし、頭を下げて外交して歩くことは、何らの付加価値の創出もないことであって、付加価値がない以上、真の顧客の利益に適うこともなく、結果として、金融機関の中長期的な企業価値の増大につながることもありません。
例えば、住宅ローンの過当かつ不毛な競争にみられるように、融資業務においては、日本全体としての絶対量が伸び得ないなかで、他の金融機関の顧客基盤に攻勢をかけて自己の融資額を伸ばそうとすることは、同時に、自己の基盤に対する他からの攻勢を誘発するのですから、出口のない泥仕合となって、競争による金利低下だけが帰結して徒に体力の消耗を招いているのです。
こうして自ら中核の収益基盤を崩壊させていきつつ、結果として生じる収益不足を、一方で、投資信託等の販売手数料等で補おうとし、また他方で、カードローン等の過剰な拡大により埋め合わせようとすることは、金融庁が厳しく警告しているように、著しく顧客本位に反することです。
もはや、全ての金融機関は、立ち止まり、冷静に身の処し方を考えるべきです。そして、金融庁がいうように、中長期的な視点でビジネスモデルの再構築を行うべきなのです。そのとき、顧客本位の徹底のなかにしか金融機関経営の差別性はあり得ないことに気が付くでしょう。
金融機関も営利企業ですから、短期的な収益を完全に無視することはできません。しかし、それが自らの中核的な収益基盤を崩壊させているなら、営利企業であるからこそ、冷静に地立ち止まり、中長期的な視点でビジネスモデルの再構築を行うべきなのです。これは企業にボランティアのようなことをしろと言っているのではなない。逆に「もっと儲かるやり方を考えろ」と言っているのですから、金融庁の姿勢というのは、じつは金融機関に対してものすごく親身なものなのです。それを「説教」と感じているようでは、それこそ「親の心、子知らず」でしょう。

では金融機関はどういったビジネスモデルの転換が必要なのでしょうか。この点に関しても森本さんの指摘は冷静です。
少なくとも日本の国内では、金融は量的に拡大できる見込みは全くないのです。そのなかで、体力勝負で量の拡大を図ることは、金融庁の指摘を待つまでもなく、持続可能性がありません。持続可能性のあるビジネスモデルは、顧客本位の徹底によって現にある顧客のなかから潜在需要を掘り起こしていくような質的な高度化以外にはあり得ないのです。
これを運用ビジネスに当てはめるなら、運用会社が目指すべきは収益の一時的な拡大ではなく、運用残高の拡大による長期的な収益性強化ということになるでしょう。つまり、高コストな商品の回転売買で一時的に収益を拡大させるのではなく、低コストでも長期に運用できる資金を積み上げて、息長く収入を得ていくこと。焼き畑農業から養殖漁業へとビジネスモデルを転換するべきだということであり、それが質的な高度化、ビジネスモデルの再構築だと言えそうです。

しかし、こういった認識は既に一部の金融機関の間で共有されつつあるのかもしれません。近年、投資信託などは低コスト化が進みました。回転売買もかなり減っているようです。そして、積立投資に力を入れることで預かり資産残高の拡大を進めている金融機関も成果を上げ始めました。例えばネット専業証券などは、その代表格でしょう。

SBI証券の投信積み立て、月間60億円強に(「日本経済新聞」電子版)

もちろん、まだ一部の金融機関の中には「顧客本位」とは言えない業務運営を続けているところもあります。それも仕方がないことでもあります。なぜなら、いかに正論を掲げていても、現実の中で妥協を余儀なくされるのもまた世の常だから。しかし、だからこそ理想とする正論を高く掲げることが重要なのです。正論は常に現実との間で蹉跌を生む。だからこそ理想と正論なき者は、永遠に現状追認主義に堕落するからにほかなりません。

そして、個人投資家もまた常に理想と正論の側に立つべきでしょう。投資家が理想と正論の側に立つからこそ、金融機関の中で良識を持つ人が現実に対して戦うことができるのですから。そしてそれは、長期的には投資家自身の利益にもつながるはず。その意味でも理想と正論を掲げることは、とても大切に思えてなりません。

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