三菱UFJ国際投信の低コストインデックスファンド「eMAXIS」の信託報酬が引き下げられるという報道があったのですが、結局は新たに低コストラインとして「eMAXIS Slim」が設定されることになりました(設定日2月27日)。
インデックスファンド『eMAXISシリーズ』に、業界最低水準の運用コストをめざす新たな仲間、『eMAXIS Slim(イーマクシス スリム)』を追加(三菱UFJ国際投信)
やはり報道にあったように、他社の競合ファンドに対して「業界最低水準」の信託報酬を追求すると明言したファンドの登場は画期的です。これから新たにインデックス投資を実行しようとしている人にとっては、有力な選択肢となるでしょう。一方、eMAXISの既存ファンドの信託報酬引き下げが実現できなかったことは、私も含めて既存ファンドの受益者にとってなんとも寂しい結果でした。改めて日本において既存ファンドの信託報酬引き下げが、いかに構造的に難しいことであるかが鮮明になったからです。同時に「eMAXIS Slim」の登場は、インデックスファンドの低コスト競争が新たな局面に入ったことを示しているのかもしれません。それこそが、三菱UFJ国際投信の意図とは別に、「eMAXIS Slim」登場の歴史的意味です。
「eMAXIS Slim」のラインアップは以下のようになっています。
いずれも他社の競合ファンドの中で信託報酬が最低のものと横並びの数字となっています。そして「eMAXIS Slim」の最大の特徴は、この「業界最低水準」の信託報酬を常に追求するところにあります。プレスリリースには次のように明記されていました。
『eMAXIS Slim(イーマクシス スリム)』は、他社類似ファンドの運用コストに注意を払い、機動的に信託報酬を引き下げることによって、今も、そしてこれからも業界最低水準を目指し続けるインデックスファンドです。これは画期的なコンセプトです。これから新たにインデックスファンドを購入・積み立てようとしている人にとっては、自分の保有ファンドが常に業界最低水準のコストとなるわけですから、ファンド乗り換えの必要もなく、安心して保有を続けられることになります。ただ、やはりそこには“三菱的”な慎重さも隠されています。それは、常に業界最低水準を追求するけれども、業界最低水準の更新はしないという意図があるように見えるからです。これはどういう意味かというと、もし他社ファンドが業界最低水準を更新する信託報酬引き下げを実施した場合、すぐにそれに追随することで他社ファンドのコスト優位性を潰してしまう。そうなると他社からすれば低コスト競争を挑むインセンティブが削がれる。皮肉なことに「eMAXIS Slim」の存在がインデックスファンドの低コスト競争のアンカーの役割を演じてしまう危険性があるということ。このことは既にブログでも指摘したところです。
MUFGは恐ろしいことをやろうとしている―eMAXISの信託報酬が"業界最低水準"に引き下げられるとの報道
もう一つ注目なのは、eMAXISという同じインデックスファンドシリーズの中に、まったく中身が同じであるにもかかわらず、信託報酬が異なるファンドがラインアップされたことの意味です。例えば「eMAXIS先進国株式インデックス」の信託報酬(税抜)が0.6%に対して「eMAXIS Slim先進国株式インデックス」の信託報酬は0.2%。この信託報酬の差をどのように合理的に説明するつもりなのでしょうか。日本の投信業界は異常なので、これまでもマザーファンドが同じインデックスファンドが異なる信託報酬で販売されているという現実があったわけですが、その場合も少なくとも別商品・別シリーズなのでコスト構造が異なるという建前で矛盾を取り繕ってきたはずです。ところが「eMAXIS Slim」は、この建前に一切の合理性が無いことを明言してしまった。そして、その矛盾の正体も明らかにしてしまった。それはプレスリリースの以下の文面に明瞭に示されています。
できるだけ低コストの投信を購入したいというお客さまからの強いご要望にお応えし、販売会社とのコラボにより誕生しました。「販売会社とのコラボにより」という文言に注意してください。「eMAXIS」は2017年1月10日現在、ネット証券だけでなくメガバンク、地銀、対面型の大手・中堅小手証券など63の販売会社を通じて販売されています。一方、「eMAXIS Slim」の販売会社はSBI証券、楽天証券、マネックス証券、カブドットコム証券のネット証券4社のみ。これは何を意味するのか。投資信託の信託報酬は委託会社(運用会社)、受託会社(信託銀行)、販売会社(証券・銀行)で分け合う構造ですから、信託報酬の引き下げは3者が合意する必要があります。つまり、信託報酬の引き下げに合意したのが、ネット証券4社だけだったということです。
あくまで個人的な想像ですが、恐らく三菱UFJ国際投信は当初、eMAXISの信託報酬引き下げを目論んだのでしょう。eMAXISは過去にも信託報酬を引き下げた実績があり、また純資産残高の増加に応じて自動的に信託報酬を引き下げる「受益者還元型信託報酬」を導入するなど、決してインデックスファンドの低コスト競争に消極的だったわけではないからです。にもかかわらず今回、新規ファンドの設定という、いわば既存ファンドの受益者を切り捨てるような方法で低コスト化に踏み切った。これはネット証券4社のほかは信託報酬の引き下げに応じなかったからだと理解するのが自然です。そのため苦肉の策として信託報酬の引き下げに応じなかった銀行や対面型証券といった販売会社を切り捨てて、ネット証券4社とだけで低コスト競争を継続するという決断をしたのでしょう。その意味で言うと、eMAXISシリーズの既存の受益者は、受益者の利益よりも自社の利益を優先する一部の販売会社の姿勢に巻き込まれた犠牲者だと言えます。
そしてこれは図らずも日本の投信業界が抱える異常さ、矛盾の正体を明らかにしました。なぜ日本の投資信託のコストが下がらないのか。なぜ既存ファンドの信託報酬が引き下げられず、新規ファンド設定という歪な方法で低コスト化が進められたのか。なぜ事実上同じ商品であるにもかかわらず異なる信託報酬のファンドが乱立するという“一物二価”の状態が放置されているのか。それら異常さ、矛盾の原因と責任の大部分が、一部の販売会社の姿勢にあるということが「eMAXIS Slim」という商品の登場によって明瞭になったのです。
「理性の狡知」として現れた「eMAXIS Slim」
こうしたことを考えると「eMAXIS Slim」の登場には、三菱UFJ国際投信の意図を超えて、重大な歴史的意義が隠されています。ひとつは、インデックスファンドの分野でファンドの新規設定によって低コスト競争を戦うという戦略が無効化したということです。今後、これまでインデックスファンドを運営していなかった運用会社のようなまったくの新規参入を除いては、運用会社が新規に低コストなインデックスファンドを新規設定して「業界最低水準の信託報酬」を訴求したとしても、その競争力はほとんどありません。なぜなら、「eMAXIS Slim」が追随することで、すぐに訴求力が削がれるからです。逆に新規設定のファンドは、それこそ新規設定にともなう運用の不安定さが危惧される分だけ、競争力は劣後します。
そうなると今後のインデックスファンドの低コスト競争は、いかに既存ファンドの信託報酬を引き下げるのかということに競争の焦点が移ります。たとえ信託報酬が業界最低水準でも、既存ファンドの信託報酬引き下げ実績のないファンドは、つねに信託報酬引き下げを視野に入れていると明言する「eMAXIS Slim」と比較してコスト面での競争力が劣後するからです。同時に、たとえすぐに並ばれてしまうと分かっていても、一瞬だけでも「業界最低水準」を更新しようとする“志”を行動で示すファンドが、もっとも受益者の利益を専らにしているということの証となるでしょう。
もうひとつの意義は、日本の投資・運用業界がより良くなることを妨げる存在が、受益者の利益よりも自社の利益を優先する一部の販売会社の姿勢にあることを証明してしまったことです。これまでも販売会社の無法は散々に指摘されてきたわけですが、「eMAXIS」と「eMAXIS Slim」という一物二価の商品が同じシリーズの中にラインアップされ、そのコスト差の原因が販売会社の違いにあることを明瞭に示した以上、たんに投資家の憶測を超えて、商品ラインアップ自体が販売会社の姿勢の問題を明瞭に証明し続けることになるのです。
この問題は突き詰めると、信託報酬の中に委託会社、受託会社、販売会社の取り分が含まれるという日本の投資信託の構造自体が孕む問題を明確にしたということです。そもそも信託報酬に販売会社の取り分が含まれていること自体が異常なことなのです。この点に関して竹川美奈子さんからも的確な指摘をTwitterで受けました。
将来的に、運用管理費用(信託報酬)のうち、代行手数料分(=販売会社の取り分)は外だしし、運用にかかる報酬だけにするとわかりやすいですよね。欧州などはその流れですし。運用にかかるお金と、販売にかかるお金は分ける。そして、手数料を払ってアドバイスを受けたい人は受ければよいと思います。 https://t.co/ifmlHjcGBy— 竹川美奈子 (@minakotakekawa) 2017年2月10日
これは今後、日本の投資信託の改革の方向性として極めて重要な観点です。皮肉なことに投資信託の低コスト化が進めば、購入手数料などの本来の意味が見直されるようになるのです。これまで投資信託の購入手数料に対して批判が強かったわけですが、それは信託報酬が高止まりしていた時代に、信託報酬に販売会社の取り分があるにも拘わらず、いわば二重取りの形で徴収していたからにほかなりません。かりに信託報酬から販売会社の取り分を外だしすることができれば、運用会社は純粋に運用にかかる費用について自由に決定し、競争することができます。販売会社は販売会社で各自が代行手数料を競えばいいわけで、現在のように運用会社が信託報酬を引き下げるのを妨害するような非生産的なことに労力を割く必要がなくなりますし、今回の「eMAXIS」のように既存ファンドの受益者が巻き込まれて切り捨てられる危険性も低下します。あとはどの販売会社で買うのかを受益者が選べばいいことになるのです。
だから「eMAXIS Slim」の登場というのは、日本のインデックスファンドの歴史にとって大きな意味を持つ。確かに「eMAXIS Slim」にはインデックスファンドの低コスト競争過熱を牽制する意図があるのかもしれません。販売会社の抵抗によって一物二価のラインアップという異常な状態になってしまったというのも事実です。しかし皮肉なことに、それによって日本のインデックスファンドの問題点を解消する方向性を明確化させてしまいました。それはファンドの新規設定による低コスト競争という戦略を無効化し、既存ファンドの信託報酬引き下げへと競争の焦点を移行させたこと。そして信託報酬の中に販売会社の取り分が含まれていることの問題点を鮮明にしてしまい、今後の改革の焦点がどこにあるのかを明示したことです。
これらは日本のインデックスファンドがより良くなるための課題と改革の方向性を示してくれました。それは「eMAXIS Slim」の功績であり、三菱UFJ国際投信の意図とは別に、いわばヘーゲル的な言い方ですが、日本のインデックスファンドがより良い方向に発展するための「理性の狡知」として現れたといえるのかもしれません。