2016年12月16日

『はじめての確定拠出年金』―ノウハウ本を超えた優れた制度論的解説書



これまで確定拠出年金についていくつかの書籍を紹介してきましたが、簡便でありながら本格的という意味でお薦めなのが田村正之さんの『はじめての確定拠出年金 』です。本書の特徴は、新書版というコンパクトな体裁ながら、やはり新書という性質上、ノウハウ本を超えた制度論的解説を含んでいることです。このため内容的に最も教養書的価値が高く、そもそも確定拠出年金とは何なのかという制度全体の建て付けを視野に入れた解説がなされていることに特長があります。著者である田村正之さんは日本経済新聞の解説委員として紙面でもおなじみの存在ですが、経済記者でありながら証券アナリスト(CMA)やCFP(上級ファイナンシャルプランナー)認定、1級FP技能士の資格を持つだけに、経済ジャーナリストとしての視点と金融アドバイザーとしての視点が併存しており、それが本書の独特の魅力になっているのです。

経済ジャーナリストとしての著者の視点は、やはり確定拠出年金という制度の全体像と制度改正の変遷に向けられているのですが、そもそもなぜ確定拠出年金制度が創設され、ここにきて加入対象者が拡大されるのかという根本的な問題に対する分析が第1章でなされています。例えば日本人の平均寿命が延びることで、公的年金だけでは老後を支え切れず、これまで以上に国民が自助努力する必要性から確定拠出年金への注目が高まるという指摘は多くの類書でもなされています。では、なぜ加入資格者が拡大されたのでしょうか。そのひとつの理由として、国民年金・厚生年金と公務員の共済年金が一元化されたことで、公務員の年金の職域加算が廃止され、3階部分が縮小されたことが関係しているという指摘は興味深かった。

第2章から第4章までは一転して金融アドバイザーとしての著者の手腕が発揮されています。ここでは主に個人型確定拠出年金の利点である課税繰り延べ効果の実際についてかなり細かく説明されており、そこから金融機関の選び方、合理的な運用方法(長期、国際分散、リバランスなど)が紹介されています。やはりコンパクトでありながらもツボを押さえた解説が非常に分かりやすい。具体的な金融機関名を挙げているところは、新聞記者らしい配慮です。運営管理手数料や商品ラインアップについての情報公開を渋る金融機関もあり、そういった金融機関は論外だという指摘も重要でしょう。また、第4章では参考として格付投資情報センター(R&I)から提供された主要資産カテゴリーの期待リターン/リスクが掲載されていますが、これはまったく貴重なデータです。一般的に運用会社のホームページなどで公開されているリターン/リスクは、あくまで過去の実績データにすぎず、機関投資家がポートフォリオを決定する際に実際に使用する期待リターン/リスクとは別物です。ところが、期待リターン/リスクのデータはあまり公開されておらず、これを個人投資家が入手するのは意外と難しい。個人的には、このデータを入手するためだけでも本書を購入する価値があると感じました。

第5章の受給時の問題について解説も丁寧です。個人型確定拠出年金は受給時に退職所得控除や公的年金等控除を活用してこそ拠出時の課税繰り延べ効果を具体的な節税効果として具現化できるわけですから、この問題について詳しく解説しない本はすべて落第です。その点、本書は様々なケースを想定して受給の具体的な方法をシミュレートしていることが素晴らしい。同時に、例え受給時に課税されたとしても、トータルでは損になるケースは少ないという結論にも納得です。そもそも高額の退職金をもらえるような人は現役時の所得も大きく、累進課税で所得税率も高くなっているので拠出時の課税繰り延べ額が大きくなります。退職後の所得は当然現役時より少なくなりますから税率も下がる。すると受給時の課税の方が小さくなるケースが多い。逆に現役時代の所得が少ない人は退職金も少ないでしょうから退職所得控除の枠が使えるケースが多い。これは私も何度かシミュレートして感じたことですが、やはり税務当局というのは狡猾なもので、税制というのは実に中立に設計されているものです。それを踏まえた上で、総じて確定拠出年金による課税繰り延べ効果は受給者に有利に設計されているといえそうです。

そうした中、最も確定拠出年金のメリットを享受できるのは退職金の少ない中小企業のサラリーマンと公的年金が少ない自営業者であると看破しているところも重要です。大企業のサラリーマンと中小企業のサラリーマンや自営業者の間の退職金格差・年金格差は現在も広がり続けており、これが老後格差の大きな要因でもあります。だからこそ個人型確定拠出年金制度は、老後格差を是正するための役割を担っていることを指摘していることは、本書の優れた点であることを特に強調しておきたい。ここにも著者が単なる金融アドバイザーではなく、あくまでジャーナリストであることをうかがわせる社会的視点があるからです。

そういったジャーナリストとしての視点は、第6章と第7章で再び発揮されています。第6章は企業型確定拠出年金についての論考となっており、多くの加入者が元本保障型商品を選択することで運用利回りが低迷している現状などをが紹介されています。この問題を解決するためにターゲットイヤー型バランスファンドをデフォルト商品にするといったアイデアが紹介されていますが、この辺りは議論の分かれるところでしょう。また、給与の一部を掛金に回す選択制についても紹介されおり、これもメリット・デメリットがあって判断が難しいところです。あくまで個人の自己責任で加入する個人型と異なり、企業が従業員に強制加入させる企業型は、ある意味で個人型以上の複雑な問題を抱えざるを得ないのだということがよく分かる。同時に、企業型でも従業員が主体的に制度や商品ラインアップの改善を求めるといった行動が必要であり、その役割は労使交渉が担うということが指摘しているのは重要なポイントです。

第7章は確定拠出年金の今後の課題について述べられていますが、ここも本書が単なるノウハウ本ではなく制度論的解説を含む教養書たる所以でしょう。さらなる改革のポイントとして加入可能年齢や掛金上限の引き上げ、引き出し条件於緩和、管理費用の引き下げが挙げられていますが、とくに国民基金連合会に支払う手数料の引き下げが今後の大きな焦点になるのでは。加入者が増加すれば、それだけ事務手続きの効率化が進むであろうし、そうでなければ「お役所仕事」の誹りを受けて当然だからです。また、確定拠出年金の普及が日本の投資文化にどのような影響を与えるかという点も海外との比較から考察していますが、筆者同様、私も確定拠出年金は日本の“投資”に対する認識を大きく変える可能性があると感じています。そういう国民経済全体への視点が含まれていることが、本書が類書にはない価値を持つ理由でしょう。そして、日本の投資文化を変えるためにも、“のどに刺さった小骨”である特別法人税の廃止を(別の懸念と合わせて)最後に訴えているところに非常に好感を持ちました(特別法人税の問題は私もいずれブログで考えを書こうと思います)。

確定拠出年金について勉強する場合、加入や運用のノウハウだけでなく制度の全体像や制度理念にまで含めて理解したい人にとって本書は格好の入門書となるでしょう。本書で得た知識をベースに、読者はそれぞれが“ありうべき年金制度”とは何なのかということを考えるヒントにもなります。わすか170ページ強の小著ですが、確定拠出年金制度に対して実にいろいろなことを考えさせられる教養書となっているのです。

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