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2016年10月30日

株式投資は庶民の味方



日本では、あいかわらず株式投資に対する偏見が強いのですが、何が悲しいのかというと「株は金持ちがやることで、庶民には関係ない」といったことを真面目にいう人がいまだに多いことです。しかし、歴史的に見れば株式投資は庶民のためにあるといえるのでは。もし、庶民が株式を保有することを禁じられたらどうなるか。そこにあるのは、究極の格差社会であり、身分社会のはずです。そして実際に人類社会の歴史上、そういった格差社会、階級社会の方が普通でした。そのことを考えると、株式投資こそ庶民の味方なのです。

バートン・マルキール博士の『ウォール街のランダム・ウォーカー―株式投資の不滅の真理』は、インデックス投資の理論的背景を詳説した基本文献ですが、意外と面白いのが第1部「株式と価値」の部分です。ここでは投資ブームとその破綻の歴史を振り返っているのですが、300年前にイギリスで起こった投資ブーム「南海バブル」について説明しているところで、ちょっと見過ごせない次のような記述があります。
株主の中には女性も含まれていた。株式は女性が自分名義で持つことのできる、数少ない財産の一つだったのだ。
案外と見過ごされがちなことですが、歴史的に見て資産を私有することができたのは、ごく一部の階級に限られていました。女性だけでなく、普通の市民も資産なんか個人所有できなかった。そんな時代では平民に生まれれば一生平民のままだし、その家は代々平民だったわけです。これが本当の意味で階級社会というものです。

ところが株式会社が発生し、株式の公開が始まったことで一般市民でも株式を保有することが許されるようになります。社会経済構造の面から、この意味を軽視してはいけないと思う。株式を保有できるということは、少なくとも経済システムの面では階級社会を超克する手段だったはず。だからこそ300年前の英国人は株式投資に熱中したのでは。儲けたいという思いと同時に、階級を超える手段として株式が圧倒的に支持されたのだと思う。それは「自由」や「平等」、そして「民主主義」の具体物としても認識されていたはずです。

そういうことを考えると、現代の日本人が「株は金持ちがやることで、庶民には関係ない」などと言ってしまうことが、どれほど寂しいことかわかります。それは歴史観の転倒だからです。もし庶民の株式投資が禁止されたらどうなるか。庶民は貧しいままに留め置かれ、一部の資本家だけがますます富む格差社会が出来上がるでしょう。それは、近代以前の社会構造に先祖返りすることになります。

いつの時代だって庶民は貧しいものです。しかし、その貧しさを克服するために様々な方法が登場してきました。そのひとつの手段が株式投資です。現在、株式は身分や階級にかかわらずだれでも所有することができます。それは身分や階級を超克し、経済的格差を克服するための有力な手段なのです。だから、庶民にとって株式投資は常に「自由」や「平等」「民主主義」と不可分な関係として語られてきた。その発生以来、株式投資は庶民の味方だったのです。株式投資に対して否定的な印象を持っている人は、ぜひともそういった歴史的な経緯についても思いを巡らせてほしいと思います。

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