2016年5月31日

お金持ちが代々お金持ちである理由―文化資本が経済資本に転換される



イタリアのエコノミスト2人が最近行った調査で、驚くべき事実が判明しました。なんと現在のフィレンツェで最富裕層に属する家は、600年近く前もやっぱり最富裕層だったというのです。

フィレンツェ最富裕層、600年前と変わらず(ウォールストリート・ジャーナル)

何代にもわたるお金持ちというのはよくいるのですが、だいたいは何世代にもわたる資産形成と相続の結果だと思っていました。ところが今回の調査では、600年前から富裕層の家系が変わっていないというのです。1世代30年として、じつに20代にわたってお金持ちであり続けるというのは、たんなる資産形成や相続の結果とは考えられません。調査では「上流層の末裔が経済のはしごから落ちることを防ぐガラスの床が存在する」と指摘してのですが、では「ガラスの床」って何なんでしょうか。

この調査で面白いのは、ごく少数の超富裕層ではなく、上位33%の富裕層の家系が現在でも富裕層であるケースが多いということが分かったことです。全体の3分の1ですから、富裕層というよりも上流階層といったほうがいいでしょう。実際に調査の対象になっている家系は君主や貴族ではなく、絹織物業者や皮革業者といった独立生産者の家系です。そういったご先祖様の末裔たちが、600年を経ても、やっぱり上流階層を形成しているというのは驚きです。

しかも、こうした上流階級の家系は、べつに領地や宮殿を受け継いでるわけではありません。600年も経てば社会経済構造は大きく変動していますから、恐らく職業は先祖とは異なっているはずです。それでもそれでも600年にわたって上流階級に止まり続けるだけの収入を確保し続けたいうことです。まさに「上流層の末裔が経済のはしごから落ちることを防ぐガラスの床が存在する」としか言えません。では、「ガラスの床」とは何なのでしょうか。調査したエコノミストは、その正体を探しあぐねてるようですが、恐らくそれは上流階級が蓄積した文化資本が経済的優位性を生み出しているのではないでしょうか。

「文化資本」とは、金銭によるもの以外の学歴や文化的素養といった個人的資産のことです。この概念の重要性を指摘したのはピエール・ブルデューとジャン=クロード・パスロンの共著、再生産〔教育・社会・文化〕でした。



文化資本は「客体化された形態の文化資本」(芸術品や文化財)、「制度化された形態の文化資本」(学歴や資格)、「身体化された形態の文化資本」(ハビトゥス=慣習行動を生み出す諸性向、言語の使い方、振る舞い方、センス、美的性向など)という3つの形態をとります。そしてブルデューは、文化資本が資本主義生産様式において、経済資本や社会関係資本と相互に転換し、再生産されていくと指摘したのです。

これは、それほど不自然なことではありません。例えば親父がパチンコばかりしている家庭で育った子供と、読書家の父親の蔵書に囲まれて育った子供は、まったく異なるハビトゥスを身につけるでしょう。後者のハビトゥスは文化資本として蓄積され、例えば勉強が好きになったりする。そういった子供の方が高学歴となりやすく、高収入な職にも就きやすい。文化資本が経済資本や社会関係資本に転換するのです。

こうしたことを考えると、フィレンツェの上流階級の家系が600年を経ても上流階級であり続けた理由が分かります。恐らく彼ら・彼女らは社会経済構造の変化に対応しながらも、つねに文化資本の蓄積を続けた。そして、それぞれの時代で蓄積した文化資本を経済資本や社会関係資本に転換し続けたから、上流階級に止まることができた。

だとすると、本物のお金持ちへの道は遠い。たんに金銭を貯めるだけでなく、文化資本の蓄積を考えなければならないからです。実際に文化資本の蓄積を怠る成金は、だいたい数代で没落してしまうものです。そして、ここにお金は貯めたり殖やしたりするだけではだめだという理由もあります。経済資本や社会関係資本を手に入れた人は、それは文化資本に転換することで、次世代に受け継がせることができる。なにしろ文化資本には相続税はかかりませんから。

だから、お金持ちになるためには、節約は大事だけれども、けっして悋気になってはいけないということです。本当のお金持ちになるためには文化的素養も高めて文化資本を蓄積しなければならないし、そのためにはお金を使わなけれならないからです。

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