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2016年1月17日

株価は下がるから上がる、下がらないと上がらない



なんだか知らない間に米国の株式市場が大きく下げていました。あいかわらず厳しい相場環境が続きそうな予感です。ただ、あまり悲観的なことばかり書いていても楽しくないので、少し前向きなことを考えてみましょう。それは、株に限らず相場というのは、下がるから上がるということ。もっというと、下がらないと上がらない。なんだか禅問答のようですが、プロのプレーヤーの間では、これは常識なのです。

私は定期的にあるコモディティ商品の市況レポートを作成する仕事もしているのですが、調査のためにプロのトレーダーにヒアリングしていると、なかなか面白い言い回しに出会います。例えば相場が方向感を失っていると、「ここはひとつ大きく下げないと、上がらないよね」などと言われます。これは相場の妙味を表した上手い言い方でしょう。

つまりこういうことです。相場が一本調子に上昇していると、その商品に割高感が出てきますから、だれも買いたくなくなってきます。逆に下げ続けると、だんだんと割安感が出てくるので、買いたい人が増えてくる。だから相場が上昇しているときこそ下落要因が蓄積されているのであり、下落が続いているときこそ上昇の契機もまた蓄積されていくということ。相場が上昇するためには、下落が必要ということになります。

江戸時代に米相場の秘伝を記した『三猿金泉秘録』という本があります。そこには現在も相場格言として残る次のような言葉が記されています。

「万人が万人ながら弱気なら、のぼるべき理をふくむ米なり」
「千人が千人ながら強気なら、くだるべき理をふくむ米なり」


これは非常に面白い。とくに「理をふくむ」という表現が秀逸です。「理」とはたんに理由という意味ではありません。なぜなら、「理」は強気・弱気という「気」の在りように対応しているから。「理」と「気」の二元論は儒学の考え方です。ここには一種の儒学(朱子学)的投資理論を見出すことが可能です。いずれにしても昔から相場というのは下がらないと上がらないし、上がるから下がるというメカニズムが理解されていたということは分かるでしょう。

だから、相場が大きく下げても悲観する必要はない。その商品の本質的価値が変わらない限りは、相場が下がるということは上がるためのエネルギーが蓄積されている段階だと理解して、じっくりと待てばいいのです。いずれ安くなった商品を買いたいという人が増えてくる。

実際に日本の株も徐々に安くなったことで、それを買いたい人も増えてくるのではないですか。例えば豊島逸夫さんも面白い事例をブログ紹介していました。

原油・金と日本株、先に下げ止まるのは?(豊島逸夫の手帖)

一部のヘッジ・ファンドが日本の株式に興味を示しているとして、次のように書いています。
原油低迷長期化を前提に、原油生産国として原油安で売られやすい米国の株式を嫌い、欧州株・日本株に注目しているのだ。「今の市場はリスク回避」といわれるが、いつまでもリスクから逃げてキャッシュを増やしてばかりでは、ファンドの存在意義を問われる。結局、欧州株や日本株などへのリスク分散運用を考えざるを得ない。特に、原油安の恩恵を受けやすい国として、原油輸入国日本の株式は、生産国米国と明らかにリスクのベクトルが異なるので、分散効果が期待できる。しかも、円高による国内エネルギー価格の下落は、消費には追い風となる。円安の功罪が問われたと同様に、円高も悪い話ばかりではあるまい。
とくに「いつまでもリスクから逃げてキャッシュを増やしてばかりでは、ファンドの存在意義を問われる」という指摘がキモです。個人投資家はいつまでもキャッシュを持っていられるけれども、機関投資家はそうはいきません。年初から世界中の株が売られているわけですが、その結果として積み上がったキャッシュは、いずれ何らかの市場に向かわざるを得ない。これは投資の世界の「理」です。

だから慌てて市場から撤退してはいけない。そもそも市場から撤退したくなるのは、「損したくない」という気持ちが強すぎるから。『三猿金泉秘録』にならって朱子学風にいうと、市場から撤退したくなるのは「気」の動きによって生じる「性」が「情欲」へと劣化した状態に囚われているから。それよりも世界の本質である「理」に従って行動するために、投資でも「格物致知」「修身斉家」を心がけたいものです。

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