最近、なにかと言うと「下流〇〇」などといって、いたずらに将来に対する不安感を煽るメディアが多いのですが、大切なことが忘れられている気がします。いわゆる「下流」問題というのはほとんどの場合、収入や資産が少ないことではなく病気や介護、離婚や親子関係の希薄化など家庭生活に問題を抱えていることが事態を深刻化させている理由だということです。つまり、下流問題というのは経済問題ではなく、家庭問題なのです。その意味で非常に面白い記事がありました。
「週末農業で家族団らん」年収300万円の子持ち正社員が実践する“明るい下流ライフ”(日刊SPA)
この記事を読んでわかるのは、家族円満、一家団結していれば、そう簡単に「下流」になんかならないということです。
ここで取り上げられている週末農業などは、たんなる事例ですから意味はありません。それよりも大事なのは、たとえ収入が少なくとも一家団欒ができており、家庭生活が円満なことです。家庭生活が円満で、一家団結できていれば、たとえ収入が少なくとも幸せに生きていける。そして、無意味な出費は抑えながら、分相応の生活をしていれば、子供の教育費に備えて貯金だってできる。つまり、普通の暮らしが、そこにはあります。
べつに無理して節約する必要もないのです。逆に無理な節約は、生活の潤いをなくし、家庭円満の阻害要因にすらなります。この記事でいいなと思ったのは、無理をしない程度のちょっとした贅沢もきちんと生活の中に取り入れることで一家の団結力を高めていることでしょう。
しかし闇雲に出費を抑えるのではなく、家族の誕生日や祝い事には、ちょっとした贅沢もする。
「いつもお留守番をして貰っているので、娘の誕生日にはブランド物の洋服を買ってあげるし、年に2回は家族旅行をするようにしています。旅行先では食事にもお金をかけますが、たまに贅沢するからこそ価値も高いんです」
これこそ普通の暮らしです。この普通さの価値を認めることがとても大切なのでは。そもそも歴史的に見ても、もっと日本が貧しかった時代は、ごくあたりまえに家族や一族が助け合うことで人々は日々の暮らしを維持してきました。だから、家庭生活を円満に維持する努力は、投資などよりもよっぽど大事なことなのです。家族でなくても、なんらかの共同体、繋がりを維持し、互いに助け合うことができれば、簡単に「下流」になんかならないのです。
もちろん、年収300万円の正社員というだけで恵まれているという指摘もあるでしょう。たしかに世の中には年収100万円台の非正規社員や母子家庭といった厳しい立場の人も多い。しかし、それはすでに「下流」といった相対的な問題ではなく、絶対的な「貧困」ですから、やはり経済的問題ではなく政治的問題です。貧困問題に苦しむ人に対しては、政府が支援の手を差し伸べるべきであり、もはや自助努力などといったレベルで解決する問題ではありません。
こういったことを考えると、あらためて家族というのは大事なものだと痛感します。かくいう私は、いまだに独身で親兄弟以外の家族はいません。自分で新しい家族を作ることができていない。あらためて婚活を頑張ろうと思いました。