2015年10月29日

ルールさえ遵守すればなんでもありの日本の金融機関-「3階建て」「4階建て」投信について・補遺

前回、いわゆる「3階建て」「4階建て」投資信託について厳しいことを書きました。

「3階建て」「4階建て」投資信託のトータルリターンが悲惨なことになっている

今回のその補遺です。私だけでなくいろいろな人が批判している商品でありながら、こういった商品がなぜ存在できるのでしょうか。それは法律上は全く問題が無いからです。受益者から苦情が出ても、投資は自己責任が原則ですから、虚偽の説明などが無い限り、問題はありません。そして、法律などルールさえ遵守していれば、どんな商品でも存在が正当化されてしまう。ようするに日本の金融機関は、ルールさえ遵守すればなんでもありになっているわけです。でも、普通の人なら「なんだかおかしい」と感じる。そういった問題について、またまたHCアセットマネジメントの森本紀行さんがズバリと指摘してくれました。

フィデューシャリー・デューティーを規制と考える金融機関に未来はない(From HC)

森本さんは、日本の金融機関が「ルールさえ遵守していれば、何をやってもいいという道徳的頽廃」に陥っていると厳しく指摘しています。

森本さんの論考は、金融庁が金融機関に求めているフィデューシャリー・デューティーの徹底が、なぜ規制強化でないのかという本質的なことを解説しています。この中で、これまでの法規制に関して次のような発言があります。
より深刻な問題は、ルールさえ遵守していれば、何をやってもいいという道徳的頽廃をもたらしたことです。
金融庁が大胆な路線転換に踏み切った背景の一つに、著しく投機性の高い投資信託が、著しく高額な手数料のもとで、大量に販売されていて、投機性ゆえに生じた収益も、手数料等を控除すれば、何も残らないという事態が横行していたにもかかわらず、「金融商品取引法」等のルールに照らしたとき、何らの違反もなかったという衝撃的な事実があります。
かような投資信託の販売実態については、金融庁としては、かねてより問題意識をもっており、故に、ルール等の導入による規制強化もしてきたのです。しかし、少しも、事態の本質的改善は起きませんでした。むしろ、ルール等の表層的な徹底遵守によって、逆に、問題性のある行為が正当化される側面のほうが圧倒的に強かったのです。
じつに皮肉なことですが、これは「法治主義」の限界です。しかし今後、金融機関に対してフィデューシャリー・デューティーの徹底が求められるようになれば、ルールさえ守ればなんでもありという日本の金融機関はやっていけなくなるでしょう。逆に金融機関が厳しく自己を律して、フィデューシャリー・デューティーを追求することが、最終的には金融機関の持続的な利益につながるというのが金融庁の理論構成だということがよくわかる論考でした。

ぜひ、そういう良い方向に金融機関が向かって欲しい。少なくとも安心して相談できるぐらいの存在にはなってもらいたいものです。
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