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2015年8月31日

なぜフィデューシャリー宣言が必要なのか-現行法では販売会社に忠実義務は課されていない

HCアセットマネジメント、セゾン投信に続いて、三井住友アセットマネジメントが「フィデューシャリー宣言」を発表しました。

「フィデューシャリー・デューティー宣言」および「フィデューシャリー・アクションプラン」の公表について(三井住友アセットマネジメント)

正直、メガバンク系列の三井住友AMがこれほど早く宣言するとは驚きました。それだけ投資信託業界においてフィデューシャリー・デューティーを重視するという動きが強まっていると好意的に解釈しています。ところで、そもそもなぜフィデューシャリー宣言が必要なのでしょうか。フィデューシャリー・デューティーとは受託者責任ということですから、本来ならわざわざ宣言するまでもなく、当然のように金融機関は受益者に対する忠実義務を果たさなけれならなかったはずです。ところが、現実は異なります。意外なことかもしれませんが、現行の法令上、受益者に対する受託者責任や忠実義務を負うのは委託会社(運用会社)と受託会社(信託銀行など)であり、販売会社(銀行・証券)には受託者責任や忠実義務を課す規定がありません。だからこそ、法規範よりも広範囲な行動規範であるフィデューシャリー・デューティーという概念が要請されたといえるでしょう。

日本の投資信託というのは昔からひどい商品が多く、また販売会社も高齢者へのハメ込みや回転売買など無茶苦茶し放題だったわけですが、なぜこんな無法がまかり通ているのか長らく疑問でした。ところが調べてみてビックリ。投資信託の制度を法的に規定する信託法信託業法投資信託及び投資法人に関する法律を読むと、確かに委託会社と受託会社には受託者責任と受益者に対する忠実義務が課せられていますが、販売会社に対する規定は、どこにも出てきません。さすが金融機関の人というのは頭がいいもので、彼らはきちんと法律を理解したうえで、合法的に無茶をしてきたわけです。

こんな状況に、さすがに国も怒ったのでしょう。そもそも日本は今後、人口も減るわけですから国全体としてフローを増やすのではなく、ストックを活用する経済構造への転換が欠かせません。そして、日本の重要な金融ストックが莫大な個人資産です。これを各産業セクターや海外の投資機会に向かわせる「好循環」を作ることを国は目指している。ところが現実は目先の手数料稼ぎに終止している金融機関が多い。これが「好循環」の妨げになっていると判断されてもおかしくありません。そこで昨年9月に金融庁が平成26事務年度金融モニタリング基本方針(監督・検査基本方針)を発表し、従来の忠実義務よりも広範囲な規範である「フィデューシャリー・デューティー」を持ち出したといえます。基本方針では、フィデューシャリー・デューティーについて次のよう記述しています。
家計や年金、機関投資家が運用する多額の資産が、それぞれの資金の性格や資産保有者のニーズに即して適切に運用されることが重要である。
このため、商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる。
おそらく、これを読んだ販売会社の人はびっくりしたと思います。はっきりと販売会社にもフィデューシャリー・デューティーを果たすことを求めているわけですから。もう法律で具体的に規定されていないからといって、販売会社が受託者責任を果たさないことを金融庁としては黙認しないということです。実際に今年7月には、この基本方針に基づいて「金融モニタリングレポート」が発表されましたが、そこでは投資信託の現状に対して新規設定の乱立、毎月分配型の多さ、手数料の上昇傾向、通貨選択型など複雑な仕組みの商品の増加、回転売買などに対して厳しい指摘を行っています。やはりフィデューシャリー・デューティーという概念を金融庁が持ちだしたことは、法律に規定される忠実義務を超える受託者責任を販売会社を含めた金融機関すべてに求めるという意味で画期的なことだったのです。

こうしたことを踏まえると、運用会社がフィデューシャリー宣言をすることに大きな意味がある。宣言は努力目標ではなく、行動規範に対する全面的コミットメントですから、その評価は宣言内容を「実行した」か「できなかった」の二つしかありません。実行できなかった場合、それは宣言者の全面的過失となります。そして、フィデューシャリー・デューティーが販売会社を含めた関係金融機関すべてに課されている以上、運用会社がフィデューシャリー宣言するということは、その内容の履行を販売会社にも求めるということになります。もし販売会社が履行を拒めば、その販売会社との取引を止めることがフィデューシャリー・デューティーを果たすことになる。それほど宣言には厳しい意味があります。

しかも日本の場合、運用会社の多くは販売会社である銀行・証券会社のグループ企業です。しかもグループの主導権は販売会社たる銀行・証券が握っているケースが多い。そのことを考えると、運用会社がフィデューシャリー宣言を出すことの意味がさらに大きくなります。つまり、運用会社は自らが所属する金融グループの利益と受益者の利益が対立したときに受益者の利益を守ることがフィデューシャリー・デューティーですから、場合によっては親会社の不利益になることも実行しなければなりません。それが受益者との利益相反を排するという意味です。だからフィデューシャリー宣言で利益相反の排除がことさらに強調されているのです。これも画期的なことです。

今後、フィデューシャリー宣言をした運用会社は、例えば信託報酬や販売手数料水準の合理性を徹底して確保する義務が生じます。また、商品設計においても本当に受益者の利益にかなう商品なのかを徹底して吟味することが求められます。そして、運用会社にとってフィデューシャリー・デューティーの実行の妨げとなるような受託会社や販売会社との取引は止めなければなりません。それが宣言を履行するということです。そして、多くの運用会社がフィデューシャリー宣言をするようになれば、フィデューシャリー・デューティーを果たさない販売会社は、商品を取り扱うことができなくなるでしょう。そうなれば、販売会社も否応なくフィデューシャリー・デューティーを果たさなければ、事業の継続が難しくなります。

そもそも、金融庁はフィデューシャリー・デューティーの履行を運用会社だけでなく信託会社、販売会社にも求めています。とくに販売会社は法的には受益者に対する忠実義務を課せられていませんから、販売会社こそ法規範ではないフィデューシャリー・デューティーの履行が必要なはずです。いずれ販売会社もフィデューシャリー宣言をしなければ事業が成り立たなくなるのでは。運用会社がフィデューシャリー宣言をするということは、販売会社をそういった状況に追い込んでいく効果があるはずです。その意味でも、運用会社がフィデューシャリー宣言をするというのは、日本の投資信託にとって大きな意味を持っているといえます。

ところで、金融庁がフィデューシャリー・デューティーという概念を持ち出したことは新たな金融規制と考えるべきでしょうか。そうではないはずです。この点に関して、いち早くフィデューシャリー宣言を発表したHCアセットマネジメントの森本紀行さんが面白い表現をしていますので最後に紹介しておきます。

「フィデューシャリー宣言」の意義について(「森本紀行はこう見る」HCアセットマネジメント)
「フィデューシャリー宣言」は、金融規制とは、関係がありません。投資運用業者が、真剣に、かつ合理的に、自己の企業価値を考えたとき、顧客の利益の上にしか、自己の利益の持続可能な成長のないことは、自然と明らかになるはずなのです。
 ならば、顧客の利益を徹底して守ることは、自己の利益を守ることになるのですから、そこに規制など必要なく、自己の利益の方向へ動く自然な経営行動として、「フィデューシャリー宣言」に到達するわけです。
 金融庁は、単に、投資運用業者に対して、自己の持続可能な収益基盤の確立を図れといっているだけです。このような社会人の常識次元のことを諭すように説かねばならない金融庁のご苦労を考えるとき、業界は、深く恥じ入るべきです。恥じて、身を正さねばなりません。
 投資信託の販売会社は、投資信託が売れているという事実から、顧客からの信頼を読み取るべきです。信頼されているからこそ投資信託が売れているという現実は、顧客の利益を守ることによってのみ、持続可能なものとなります。ならば、販売会社自身の規律として、「フィデューシャリー宣言」を行うことは、法規範の問題ではなくて、自己の長期的な利益の追求なのだということです。
 「フィデューシャリー宣言」を行っている販売会社は、より厚い顧客から信頼を得ることで、「フィデューシャリー宣言」をしない、というよりも、できない販売会社を、業績において凌駕していく、そのような社会のあり方を実現していくことこそ、投資信託の健全なる発展のための基礎条件となるのです。

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