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2015年7月27日

『賭博と掏摸の研究』-なぜ素人は投機で勝てないのか



古今東西、詐欺やイカサマというのはなくならないもので、現代でも定期的に金融詐欺が発生したりします。あとから騙しの構図を見てみると、よくもまあこんな手の込んだことをと感心することも度々なのですが、そうやってイカサマが芸能的技術にまで昇華するところに人間の創造力のある面での発露があるともいえます。だから、イカサマや詐欺の技法を歴史的に概観すれば、人間社会の裏面史的理解も深まるといえるわけです。そういったアウトロー研究の基本文献であり、内田魯庵が「天下一本の奇書」と称賛したのが尾佐竹猛博士の賭博と掏摸の研究です。

尾佐竹猛博士は明治13年生まれ。明治法律学校(現在の明治大学)を卒業して大審院判事など法曹人として活躍する一方、明治憲政史研究の泰斗として知られます。のちに吉野作造が組織した明治文化研究会の中心人物としても活躍し、二代目会長も務めた人物です。堅実な学風の一方で、自ら「無用学博士」を自称したように、普通の人は注目しないアウトロー研究を独自に開拓しました。法曹人として実際の犯罪現場に近いところにいただけに、その具体的かつ実証的なアウトロー研究は他の追随を許さず、本書は後に多くの時代小説家などに参考書として活用されたのです。

本書では賭博の具体的な種類と内容、そして歴史をこと細かに記述しており、それこそ文明の発生初期から賭博もまた誕生したということが分かります。そして面白いのが、賭博の誕生と同時に、イカサマも発生するということです。だから本書は賭博の解説書であると同時にイカサマの解説書になっている。

とにかく手を変え品を変えて登場するイカサマの変遷が面白すぎる。そこには特殊な道具の開発から、かなり技術が必要なテクニックの習得までさまざま。また、イカサマを防ぐ、あるいは見破るためににもやはり様々な工夫が続けられる。イカサマをする方もされる方も、お互いの工夫で対峙するわけで、さながらイノベーションの対決となります。こうなってくると、「イカサマはやめよう」という合意形成がほとんど行われなくなり、完全に賭博はイカサマを前提とした対決にすらなってしまうのが面白い(このあたりは、それこそゲーム理論で理由は解明できるでしょう)。そして、これは日本人の特徴なのかもしれませんが、工夫に工夫を重ねると、やがてそれは芸能的技術にで昇華する。芸の妙技に感心してしまうようになるのです。

そんな楽しい本なのですが、投資家目線で読むと意外な発見もあります。それは素人がなぜ投機で勝てないのかということ。投機も一種の博打だと考えると、理由は簡単です。日本では博打は基本的に“イカサマあり”を前提として参加しなければならない。そして博打に勝つためには、自分もイカサマをする技術があり、相手のイカサマを防ぐ手立てを持っていなければならないわけです。そういった技術を持たずにギャンブルに参加する人は“カモ”にされる。たしかに現代でも投機で勝つのはインサイダーなどイカサマをやる人たちです。

もうひとつは、投機的行為にさえ様々な工夫を凝らす日本人の性格が変わっていないということ。これは意外と身近な問題です。例えば、これは賭博ではありませんが、毎月分配型から始まり、通貨選択型、オプション取引まで加える三階建て・四階建てまである投資信託などはほとんど芸能的な技術が投入された商品です。よくもまあ、こんな複雑な仕組みを考えたものだと感心します。きっと江戸時代ならサイコロや壺皿にイカサマ細工を施すために知恵を絞った職人のような人たちが現代では複雑な投資信託の商品開発にあたっているのではないかと思わずにはいられません。そしてイカサマがあるということを知らずに土場に足を運ぶ素人と、じつは元本払い戻しにすぎない高額の分配金に魅かれて特殊な投資信託を買ってしまう人は、ほとんど違いがないのかもしれません。

いつの時代も投資と投機、商いと博打の違いを分別できない素人衆は、玄人のカモであり続けるという、これまた文明の発生時から変わらない人間社会の構図を垣間見るのです。

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