2015年6月15日

なぜ投資と資産形成が必要なのか‐国からの隠れたメッセージを読み解く

先日紹介した山崎元氏と水瀬ケンイチ氏による全面改訂 ほったらかし投資術 (朝日新書)は、コツコツ投資家にとっていろいろと有益な情報がつまった良書ですが、なかでも山崎氏が極めて重要な事柄を指摘していました。それは、なぜ国がNISAを創設したり、確定拠出年金の拠出対象者を拡大したりするなど国民の投資と資産形成を後押ししているのかという問題です。じつはこの問題は私も強く感じていたのですが、山崎氏がズバリと指摘してくれました。そこには国民に対する国からの隠されたメッセージが込められています。このメッセージを理解すれば、なぜ投資と資産形成が必要なのか。あるいは投資や資産形成をしないリスクがどれほど大きいか理解できるでしょう。

ご存じのとおり、NISAが2014年からスタートし、確定拠出年金(DC)も現在、加入資格が拡大される方向で法律改正が進められています。

確定拠出年金法等の一部を改正する法律案(厚生労働省)

NISAもDCも利用者にとっては節税メリットの大きい制度ですが、逆に国からすれば税収減につながる制度です。財政規律に神経質になっている財務省が、こうした制度設計を認めるのは、単なる「貯蓄から投資へ」などといったスローガンの実践では済まない問題です。はっきりいって、そこには国の大きな意図が隠されていると理解した方がいい。

この点を山崎氏が全面改訂 ほったらかし投資術 (朝日新書)の中でズバリと指摘してくれました。山崎氏は次のように指摘しています。
(NISA創設やDC拡大など)今、こうした動きが政府側で次々にあることの背景には、将来の公的年金の実質的な「使いで」が縮小していかざるを得ないという見通しがあるように思われます。「自分で老後に備えたい人のためには、そのための制度は用意してありましたよ」と将来言えるようにするアリバイ作りのニュアンスを感じます。あるいは、「将来への備えは自分でやってください」という政府からのメッセージだと考えてもいいでしょう。
これにはまったく同感です。国家やその運営にあたる官僚というのは馬鹿ではありません。彼ら・彼女らなりにきちんと見通しを立てた上で行政というのは運営されているし、制度設計もされています。なんらかの制度が作られるとき、そこには確実に目的があります。NISAやDC拡大は、国が国民の老後の社会福祉に対して従来の公助中心から、自助中心に大きく舵を切った表れだと理解できます。

しかし、そのことをはっきりと言わないで、制度創設という形で国民にメッセージを送るだけというのは不親切ではないかという批判もあるでしょう。それは一面では正しいのですが、現実として国が国民に投資を薦めることはできません。なぜなら投資というのはリスクがあり、あくまで自己責任原則が貫徹される営みだからです。

私のような現役世代からすると、じつに恐ろしい時代になったと思います。国からのメッセージを理解して行動した人と理解せずに行動しなかった人とでは将来、大きな格差が生じることをある意味で国が是認しているのですから。そういうことを考えると、なぜ投資や資産形成を行う必要があるのかがよく理解できるはずです。投資するリスクと何もしないリスクを比較したとき、あきらかに後者の方が大きくなっている。何しろ国家の意向が働いている可能性があるのだから。

投資するかどうかは自己責任ですから、私は人に薦めるようなことはしません。しかし、国の制度であるDCぐらいは検討した方がいいと思う。とくに私のように企業年金がない中小零細企業に勤めていて厚生年金までしか加入していない人や、自営業で国民年金しかないひとは、真剣に検討した方がいいでしょう。国からの(隠れた)忠告には従ったほうがいいのです。つまらない医療保険や生命保険などに掛金を支払うぐらいなら、よほど優先順位は高いと断言します。

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