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2015年3月30日

真面目に投資していると優しくなれる―個人投資家はもっと寄付をしよう!



いつも楽しく読んでいるブログに「夢見る父さんのコツコツ投資日記」があります。普段の投資活動だけでなく各種セミナーにも積極的に参加して紹介してくれるバイタリティがすごいのですが、最近のエントリー「ぶっちゃけ、日本の貧困、格差ってそんなに問題?」を読んで非常に感銘を受けました。日本の貧困問題に思いをいたすだけでなく、寄付までする夢見る父さんの誠実さがすごい。私も常々、個人投資家ももっと寄付など社会貢献活動を積極的にするべきだと思っていたので、毎月1万円(年間12万円)もの額を寄付する夢見る父さんを尊敬します。

夢見る父さんほどではありませんが、じつは私も年間一定額を日本赤十字社に社費として寄付しています。クレジットカードで登録しておくと自動的に決済される仕組みがあるので、これを利用しています。投資と同じで寄付もほったらかしで継続できるようにしているわけです。

私が継続的な寄付を始めたのは、じつは本格的に投資を始めてからでした。それまでは寄付といった慈善活動に対してどちらかといえばシニカルに見ていたほどです。ところが不思議なもので、本格的に投資を始めると妙に寄付がしたくなりました。なぜだかは、いまでも上手く言語化できません。でも、あえて言語化すると、投資を通じて自分が社会全体の動きと密接に関連しているという感覚が強まったからかもしれません。そもそも投資のリターンは社会の発展の果実の一部です。ならば社会に問題が存在する以上、それに対して見て見ぬふりをするのは、社会からリターンを得ている者として不誠実に感じたのです。

投資にはリスクがともないますから、投資家はリスクにわが身をさらしていることになります。リスクは低減できますが、完全に回避することはできません。自分がリスクにさらされているという自覚があると、他人のリスクにも敏感になるのでは。貧困など具体的な困難に局面している人を見ると、そのリスクを自分が身をさらしているリスクと同じように感じる感性が生じるのではないでしょうか。そういえばアダム・スミスの『道徳感情論』を読むと、人間は互いの「利己心」を認め合ったときに初めて「共感(シンパシー)」を抱き、恵まれない人々に対する「慈善」の感情が生じると指摘しています。これこそが資本主義社会における最低限の道徳原理でしょう。

ならば日本の個人投資家も資本主義の最低限の道徳原理に従いたいものです。なにもウォーレン・バフェットのように死後に財産のほとんどを寄付するようなことまでする必要はありません。自分ができる範囲で慈善活動を行えばいいのです(金銭ではなく人的資本を提供してもいい)。個人投資家レベルでも、こうした行動が当たり前になれば、日本での“投資”に対するイメージも変わるでしょう。そして「投資には金銭以外にどんな意義があるのですか」と問われたときに、堂々と「真面目に投資していると人に優しくなれます」と答えることができるようになるでしょう。

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