株式相場が連日の大暴落です。チャートはナイアガラのようで、まさにパニック相場といっていいでしょう。新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大する中で、とにかく今はリスク資産から手を引きたいと思う投資家がマーケットに殺到しています。ただ、どれだけ大量の株式が“売り”に出されたとしても、売買が成立しているということは、それを“買い”に向かっている人がいるということを忘れてはいけません。そして皮肉なことですが、こうしたパニック相場の中で一種の“富の移転”が行われているのです。
新型コロナウイルス感染症の流行がアジアだけでなく欧州と米国にまで広がったことで世界経済の先行きに大きな不安が広がってきました。元々、経済の拡大と株式市場の上昇が長らく続いたことで、いまにもこれが終わるのではないかといった不安と疑心暗鬼、そして実際の悪材料が少しづつ蓄積されていた中で、新型コロナウイルスがその火薬庫に火をつけたというのが今回のパニック相場の構図のように感じます。
これだけ急激な下落に見舞われると、それこそ底が見えないわけですから不安になるのは仕方ありません。とりあえず手持ちのリスク資産は手放して、一時的に市場から避難することを考える人が増える。こうして売りが売りを呼ぶ展開となるのが相場のいつものパターンです。
ただ、ここでふと立ち止まって考えてみる。いま株を“売る”ことができるのは、反対側にそれを“買う”人がいるという厳然たる事実に気付く。ある投資家は損切りをして損失を確定させる。その反対側で別の投資家が驚くほど魅力的な価格で資産を手に入れることになる。やがて相場が落ち着きを取り戻したときに多くの人が気づきます。パニック相場の中で起こっていたことは“富の移転”だったということに。これはこそ株式投資の厳しい現実です。
では、現在のようなパニック相場の中で“買い”に向かえる人というのはどんな人なのでしょうか。それこそリスク許容度の範囲内で投資してきた投資家にほかなりません。このことはかつてこのブログでも書いたことがあります(関連記事:株価暴落で明らかになる“不都合な真実”―リスク許容度の範囲内で投資している人だけが儲けることができる)。そして実際に今回の大暴落でも、それこそレバレッジ投資やフルインベストメントを推奨していた“強気な投資家”は早々に退場したことでしょう。彼らの富は、リスク許容度の範囲内で投資している“臆病な投資家”に移転されました。
とはいえ、現在のようなパニック相場で買いに向かうことは簡単ではありません。相場が好調な時には「暴落したら全力買いだ」と豪語する人が増えるのですが、実際に暴落すると、ほとんどの人は「まだ下がりそうなので、しばらくは様子見します」などと言いながら手が縮こまる姿を何度も見てきました。やはり人間の精神は、そんな簡単に市場の恐怖から逃れることができるほど強くはないのです。
結局、この局面でも淡々と買いに向かえるのは長期投資の視点を持つ積立投資家だけではないでしょうか。とくに証券会社の自動積立サービスや、給料や銀行口座から天引きの個人型確定拠出年金(iDeCo)を利用して機械的に積立投資している人たちは、それこそ相場を見ることすら止めてしまっても、やはり淡々と買いに向かうことができます。そして長期投資においては、これこそが“富の移転”を常に享受することを意味します。
上昇相場が続くと「合理的ではない」「機会損失だ」といった批判にさらされる積立投資ですが、現在のようなパニック相場が起こると、そういった批判は姿を消します。批判していた人の一部が、先に相場から退場してしまうからでしょう。投資効率を追求した“合理的”な投資家が市場から退場し、その富は機会損失に甘んじながらも市場に居続けた“非合理”な投資家に移転される。これも株式投資の皮肉な現実です。
最後に、パニック相場になるといつも思い出す投資の名言を紹介しておきます。
“Bull markets are born on pessimism, grow on skepticism, mature on optimism and die on euphoria.”
「強気相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、幸福感の中で消えていく。」―ジョン・テンプルトン卿
『テンプルトン卿の流儀』