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2019年6月24日
『近代中国史』―“人民の社会”中国の社会経済構造の本質
米中貿易摩擦が一段と激しくなる中、日本人だけでなく欧米人も中国に関して理解不能な点が多々あることが明確になりました。知的所有権の問題や遵法精神についてなど中国と欧米(と日本)は、どうも考え方が根本的に異なるように思え、中国を理解することを難しくします。なぜ中国の社会を理解することが難しいのか。最近、岡本隆司『近代中国史』を読んで、その疑問が氷解しました。中国においては、「国家」や「社会」なるものの意味が、欧米や近代以降の日本が理解している“近代的”な「国家」や「社会」と根本的に異なるのです。そこには伝統中国社会の極めて特異な社会経済構造があります。
私は学生時代に文学部で比較文化・比較文学を専攻していました。指導教官が東大駒場出身だったこともあって比較文学として日本を研究するのですが、そこで研究対象の一つとして取り上げていたのが勝海舟です。幕末の活躍は周知のことですが、じつ明治32年まで生きており、かなりの量の談話が残されています。
そこでいつも気になっていたのが海舟の中国観です。彼は日清戦争に反対しながら、「支那は国家ではない。あれはただ人民の社会だ」と断言し、それゆえに日本と中国の連携の可能性を提言していました。この意味はいまだに完全には理解されていません。
また、東洋史の碩学・内藤湖南は元々がジャーナリストであり時論家だったこともあり中国に関しては時事的な評論をかなり書いていますが、やはり彼も中国に関して「郷紳」なる中間団体によって組織された社会だと強調していました。
こうした論点を見事に解きほぐしてくれたのが本書です。社会史・経済史の観点から中国の社会経済構造が形成される歴史的経緯とその本質を鮮やかに活写しています。
中国の伝統社会といえば皇帝が巨大な権力をもって支配した中央集権社会と思われがちですが、実態は全く逆でした。あまりに広大な国土を治めるために中央集権のシステムが不可能だったのです。このため社会は「官」と「民」、「士」と「庶」に分断され、それをつなぐ中間団体による一種の自治によって維持されていたわけです。
こうした構造が法制から経済、外交・通商まで規定し、中国の独特な社会経済システムを生み出します。そして伝統中国が生産物の直接交換・流通による現物主義を前提としながら、明清交代期を挟んだ経済発展の中で商業化が進み、その矛盾を解決するために中間団体の役割が一段と大きくなる。言い換えると中国の商業化は中間団体の範囲内でのみ実現してきたことになります。それは中国の“近代化”が常に限定的である理由でもあります。
こうした中国の社会経済構造のを理解すると、中国共産党による「革命」が、ある意味で伝統中国の社会経済システムを根本的に変える文字通り“革命”だったことも理解できます(その代償の大きさについても本書は冷静に見つめています)。そして、現在の「改革・解放」政策が再び中国を分断する可能性についても。
本書を読んで、私は海舟が指摘した「支那は国家ではない。あれはただ人民の社会だ」という言葉の具体的な意味を理解できたような気がします。中国「国家」と中国「社会」は全く別物である可能性について考えさせられます。国家としての中国との付き合い方と、社会としての中国との付き合い方には、別の観点が必要なのかもしれません。
久しぶりに非常にスリリングな読書経験を味わいました。ビジネスなどで中国や中国人と関係する人にとって本書は必読の一冊ではないでしょうか。