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2019年4月2日
「令和年間」が始まる―日本の再生と革新の時代を期待
5月1日の改元によって始まる新しい元号が「令和」と決まりました。音の響きや字の体が非常に清々としていて、非常に良い元号だと感じます。典拠が「万葉集」というのも、漢籍を典拠とするという慣例を破ったという点で画期的でしょう。典拠の文章も風雅にして流麗であり、非常に素敵でした。元号制度の是非に関しては様々な意見がありますが、こうやって新しい元号に触れると、いかにも日本のあり様をうまく示した元号だと思えるのです。そこには日本の再生と革新への願いが感じられます。
最近では日常生活でも西暦を使うことが多くなり、以前に比べると元号を意識することは少なくなりました。しかし、やはり元号には一種の象徴性があり、それによって時代感覚をとらえるということができます。例えば「明治の精神」「大正の空気」「昭和の記憶」といった言葉には、有無を言わせぬリアリティがあると感じるのは、その表れです。
しかし、近代以降の日本人は元号と同時に西暦の時間をも生きています。西暦は終わりがなく単線的に続くと感じる一方、元号は始まりと終わりがあり、常に終焉と再生を繰り返すのです。日本人は、この二つの時間感覚の中を生きざるを得ませんでした。幕末と明治に跨ってに生きた福澤諭吉は「一身にして二生を経る」と言いましたが、西暦と元号という二つの時間を生きる日本人の多くも、ある意味で「一身にして二生を経る」ことになるのでしょう。
そういったアンビバレンツな感覚こそ、日本人が受け入れざるを得なかった宿命です。それは地政学と文明史にも当てはまります。日本の歴史は「アジアと日本」「西洋と日本」「世界と日本」という交通の中で、なにを受け入れ、どのように独自な発展を実現したのかという歴史でもあります。
そう考えると、新元号である「令和」の成り立ちには興味深いものがあります。典拠は「万葉集」巻五「梅花歌三十二首并序」の「于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」だとされ、日本の元号史上、初めて和書からとられています。これをもって中華文化圏からの離脱を意図した新・国風文化の宣言だと理解できなくはない。
しかし、古典の文学表現というは常に典拠がある(というよりも古典の世界では典拠のない文章は文学的表現として認められない)。「梅花歌三十二首并序」もまた、「文選」巻十五にある張衡「帰田賦」の「於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮」という字句を踏まえているというのは多くの専門家の指摘するところです。
そして、こうした中国の古典を踏まえた文章だからこそ「万葉集」の「梅花歌三十二首并序」は元号の典拠に相応しいと思う。東アジアの漢字文化圏の豊かな土壌にしっかりと根を下ろしながら、それを独自に発展させた日本文化のあり様を示しているからです。典拠とは時空間を超えた交通によって文学的価値を生み出す手法にほかなりません。それこそ「一身にして二生を経る」がごとき日本の文化的豊かさがなんとなく感じられて、典拠も含めて「令和」という元号には非常に清新な印象を受けたのです。
あと1カ月で平成年間が終わり、新しく令和年間が始まります。まさに日本の再生と革新の時代が始まるのではないかという期待が膨らんできました。典拠にあるように、宴の始まりであってほしいと願わずにはいられません。