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2018年12月25日
馬鹿な男たちのロマン主義を女は乗り越えていく―映画「メアリーの総て」を観ました
クリスマス3連休で久しぶりに映画を観に行くことに。観たのは「メアリーの総て」です。これがちょっとした名作で、なかなか感心しました。2018年のベストワンだと思います。ある種のフェミニズム映画ですが、そのフェミニズムの強度が鋭い。アウトコース低め一杯に投げ込まれた快速球でした。馬鹿な男たちのロマン主義を女が乗り越えていく姿は、ちょっと痛快でもあります。
本作はゴシック小説の名作『フランケンシュタイン』の著者であるメアリー・シェリーの人生と『フランケンシュタイン』執筆の経緯を脚色したものです(史実とはかなり異なります)。メアリー・シェリーといえば、アナキズムの古典『政治的正義』の著者、ウィリアム・ゴドウィンと女権論の先駆者であるメアリ・ウルストンクラフトの娘であり、ロマン派詩人であるパーシー・ビッシュ・シェリーの妻として知られます。
アナキズムと女権論、ロマン派とゴシック小説というのはじつに興味深い組み合わせて、おそらくウィリアム・ゴドウィン、メアリ・ウルストンクラフト、パーシー・ビッシュ・シェリー、そしてメアリー・シェリーを関連させて博士論文を書くことができるぐらいのテーマです。
「メアリーの総て」を観て感心したのは、そういった社会と思想と文学の関係性というもをきちんと捉えた上で、19世紀の社会で1人の女性が「自分の足で生きる」ことの批評性を明瞭に描いていたことでした。そうしたモチーフは、本編の冒頭でメアリーが隠れ家である墓地から全力で駆け出すところから鮮明に表現されています。
登場する男たちもまたメアリーとの対比の中で、このモチーフを印象付けます。パーシー・シェリーのほか、バイロンなどが登場するのですが、見方によっては見事なクズっぷり。それはこの映画の製作者による「男たちのロマン主義」への応答です(一方、ウィリアム・ゴドウィンの明晰さ際立っていて、それは実際に理想と現実の間で闘争してきたものだけが持つ思想の強度だとも言えます)。
だから本編のクライマックス、メアリーが『フランケンシュタイン』を書き上げた後、それを読んだパーシーのくそダサい感想に対して、“こいつ、なに言ってんの?”みたいな感じでやり返すところは実に痛快。その瞬間、パーシーやバイロンが体現している馬鹿な男たちのロマン主義は、メアリーという女によって乗り越えられたのです。『フランケンシュタイン』という作品の誕生には、そういった文学史的意味合いを見出すことも可能でしょう。そこから近代小説へはあと一歩の距離です(そして、そのことに最初に気づくのは、やはりウィリアム・ゴドウィンでした)。
これだけの快速球をズバズバと投げ込む映画も最近は珍しい。そう思ってパンフレットを読むと、監督のハイファ・アル=マンスールはサウジアラビア出身の女性でした。これにも大いに得心した次第です。快速球を投げ込むだけの足腰の鍛え方が違う。このことも含めて、じつに素晴らしい作品でした。