今年2月のことですが、政府は新しい「高齢社会対策大綱(平成30年2月16日閣議決定)」を発表しました。高齢社会対策大綱は社会保障や年金制度などを含む日本の高齢社会対策に大方針ですが、驚いたことに今回の改正で国民の「資産形成等の支援」が具体的に盛り込まれました。
高齢社会対策大綱(平成30年2月16日閣議決定)(内閣府)
近年、国は国民の資産形成を促進する政策傾向を強めていたのですが、遂に閣議決定事項にまでなったということです。これは国民と投資・金融業界の双方にとって極めて大きな意味を持ちます。なぜなら、閣議決定というのは行政府の最高意思決定ですから、その行政行為面での拘束力が極めて大きいからです。そして、そもそもなぜ国が国民の資産形成を支援するのかという理由を公式に示す決定でもあります。
高齢社会対策大綱は、高齢社会対策基本法に基づいて政府が定める中長期的・総合的な政策指針です。1996年に最初の大綱が決定され、2001年と2012年に改正されています。今回は6年ぶりに新しい大綱を決定したわけですが、旧大綱と比較すると、より高齢者の社会参加や経済活動への参加を促すことで「エイジレス社会」を目指すとしています。そんな中、とくに印象に残ったのが「分野別基本施策」の「就業・所得」に盛り込まれた「資産形成等の支援」という項目です。以下のように極めて具体的な記述がなされており、驚きました。
(3)資産形成等の支援旧大綱ではこの部分は「自助努力による高齢期の所得確保への支援」として企業年金や厚生年金基金の拡充・改善を促進することや退職金制度の普及促進が挙げられていたほか、資産形成に関しては「ゆとりある高齢期の生活に資するため、勤労者の在職中からの計画的な財産形成を引き続き促進する」という一文だけしか言及がありませんでした。つまり現大綱では、国民の資産形成に関する国の考え方が旧大綱から根本的に変わったことを示していると考えた方がいいでしょう。
ア 資産形成等の促進のための環境整備
私的年金制度は公的年金の上乗せの年金制度として、公的年金を補完し、個人や企業などの自助努力により、高齢期の所得確保を支援する重要な役割を担っている。個人型確定拠出年金(iDeCo)について加入者範囲の拡大等や中小企業が利用しやすい制度の導入の周知等を行うとともに、確定給付企業年金についてリスク分担型企業年金制度等の周知等を行うことにより、私的年金制度の普及・充実を図る。
また、退職金制度が老後の所得保障として果たす役割は依然として大きいことに鑑み、独力では退職金制度を持つことが困難な中小企業等を対象とした中小企業退職金共済制度の普及促進を図る。
ゆとりある高齢期の生活を確保するためには計画的に資産形成を進めることが重要であることから、上記の諸制度に加え、つみたてNISA(少額投資非課税制度)等の普及や利用促進を図るとともに、勤労者が資産形成を開始するきっかけが身近な場で得られるよう、職場環境の整備を促進する。特に、地方公共団体や企業における取組を促していく等の観点から、まずは国家公務員がつみたてNISA等を広く活用するよう、「職場つみたてNISA」等の枠組みを導入し、積極的なサポートを行うなど、政府として率先して取組を進める。
イ 資産の有効活用のための環境整備
高齢期に不安なくゆとりある生活を維持していくためには、それぞれの状況に適した資産の運用と取崩しを含めた資産の有効活用が計画的に行われる必要がある。このため、それにふさわしい金融商品・サービスの提供の促進を図る。あわせて、住み替え等により国民の住生活を充実させることで高齢期の不安が緩和されるよう、住宅資産についても有効に利用できるようにする。また、低所得の高齢者世帯に対して、居住用資産を担保に生活資金を貸し付ける制度として、都道府県社会福祉協議会が実施している不動産担保型生活資金の貸与制度の活用の促進を図る。
高齢投資家の保護については、フィナンシャル・ジェロントロジー(金融老年学)の進展も踏まえ、認知能力の低下等の高齢期に見られる特徴への一層の対応を図る。
今回、新しい「高齢社会対策大綱」を読んで、そこには二つの重要な国の意志というものが明示されたと思います。ひとつは、国が公的年金だけではゆとりある老後資金を保障しえないということを公式に認めたという点です。だから公的年金を補完する私的年金や老後資金の形成にための制度の普及・充実が具体的に盛り込まれた。個人型確定拠出年金(iDeCo)の加入対象者拡大や「つみたてNISA」の創設が「高齢社会対策大綱」の中で具体的に記載されたというのは、そういうことです。私はこのブログでも「iDeCo拡大や「つみたてNISA」創設は、国の隠れたメッセージ」と指摘してきましたが、まさにそのことが正式に表明されたわけです(公務員自らが率先して「つみたてNISA」や「職場つみたてNISA」に取り組むことが明記されているのも、国の意志の強固さを示しています)。
もうひとつは、国民に老後に向けた自助努力を促す以上、それを阻害するような要因は国家権力によって徹底的に排除するという意志表明です。大綱に記載された「それにふさわしい金融商品・サービスの提供の促進を図る」とはなにを意味するのか。国民の資産形成、とくに老後資金のための資産形成・運用に関して金融機関がボッタクリをすることは一切許さんという国からのお達しです。あるいは高齢者の資産運用・取崩しに関しても「高齢投資家の保護については、フィナンシャル・ジェロントロジー(金融老年学)の進展も踏まえ、認知能力の低下等の高齢期に見られる特徴への一層の対応を図る」とあります。これも金融機関が情報の非対称性を利用して高齢者をハメ込み、ボッタクリの商品を売りつけることは一切まかりならんという国の意志が示されています。
このように今回の「高齢社会対策大綱」には、厳しい現実が明示されています。もはや若いうちからの資産形成の取り組みは、一部の国民だけがやるものではなく、余裕ある老後を迎えたいと思うなら、必須のものとなりました。これは厳しい現実です。本来なら公的年金だけで余裕ある老後をおくれるような制度が望ましいという意見もあるでしょう。私もどちらかと言えばその方が望ましいと思う。だから、そういったことを目指した政治運動は今後、ますます重要になる。ただ、人は平等に年を取ります。社会保障の充実を求める政治運動は大切だけれども、運動が成就する前に自分が年を取ってしまったらどうするのか。そして、実際の政治運動というのは長い年月がかかるものです。だから、国民は政府に対して社会保障の充実を求める政治運動を行いながらも、同時並行で自助努力による資産形成も行わなければならない。そういった両建ての戦略こそ、庶民の知恵のはずです。
もうひとつの厳しい現実は、金融機関に対して突きつけられています。国が国民の資産形成への支援を閣議決定したことで今後、ボッタクリの高コスト商品など不誠実な金融商品は徹底的に潰されると思う。良い悪いの問題ではなく、国家権力の意志として潰されるのです。それによって金融機関の収益率は大きく低下するかもしれません。金融機関で働く人の給料が大幅に引き下げられたり、大規模なリストラが起こるかもしれない。しかし、国はおかまいなしでしょう。なぜなら、国家権力の厚生経済政策の前では、金融機関やそこで働く人の都合などは、しょせん「大事の前の小事」にすぎないからです。国家権力というのは、それほど冷徹なものであり、その意志を示す閣議決定というのは、それほど重いものです(なにしろ、閣議決定された事柄を覆すためには、別の閣議決定が必要なくらいですから)。
今後、資産形成や投資についての環境は劇的に変わる可能性があります。あるいは強制的に変えさせられるかもしれない。その動きは、すでに顕在化しているとも言えます。それが良いことなのか悪いことなのかは分かりません。ただ、老後に向けた社会保障政策などのルールが変わったことは理解しなければならないと思う。新たな内容を盛り込んだ「高齢社会対策大綱」を閣議決定したということは、国が明確にルール・チェンジを宣言したということなのですから。
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