2018年1月28日

国が「投機」を規制して「投資」を促進する理由―「投機」はつねに「反社会性」を帯びる



仮想通貨交換・販売所のコインチェックが不正アクセスに遭い、仮想通貨「NEM」580億円相当が盗まれたました。セキュリティがグダグダだったわけで、まあ起こるべくして起こった事件というのが第一印象です。それよりも驚いたのは、NEMのような草コインを日本人が580億円も買っていたという事実です。NEMは決済手段としてはほとんど普及していませんから、保有者のほとんどは投機目的だと想像できます。日本人は「投資嫌い」だと言われますが、逆にどれだけ「投機好き」なのだと呆れました。これを機会に国は仮想通貨による投機行為を厳しく規制するようにになるでしょう。一方、国は国民の「投資」行為については大いに促進を図っています。例えば今年から始まった「つみたてNISA」制度もその一環ででしょう。では、なぜ国は「投機」を規制し「投資」を促進するのでしょうか。じつはその理由にこそ「投機」と「投資」の大きな違いがあるように思えます。

日本人は一般的に「投資嫌い」と言われています。実際に日本銀行の「資金循環統計」を見ると2017年9月末段階での家計が保有する金融資産は1845兆円、うち現金・預金が953兆円(51.1%)、保険・年金・定型保証が521兆円(28.2%)に対して、有価証券類は株式等198兆円(10.7%)、投資信託104兆円(5.6%)、債務証券24兆円(1.3%)となっています。じつに金融資産の80%近くが元本保証型の資産であり、投資に回っているのは2割程度。だから日本人は「投資嫌い」だと思われている。

ところが世の中を見ると印象は一変します。街中にパチンコ屋が存在し、宝くじ売り場には行列ができる。公営ギャンブルも盛んです。また、株式投資といえば短期売買で利ザヤを抜くことだと思われているのでデイトレやスイングトレードが多い。FXのような特殊な方法も個人投資家にも知れ渡っていてハイレバレッジ取引が人気となる。ついには仮想通貨を買ったり、仮想通貨でFXといった方法まで登場する。こういった風景を見ると、日本人ほど「ギャンブル好き」な国民はいないとさえ思ってしまう。日本人は「投資嫌いの投機好き」ということでしょう。

一方、国の政策を見ると明らかに「投機」を規制し「投資」を促進しようという姿勢が見えます。例えばパチンコは当たり率が厳しく規制されていますし、FXも断続的に規制が強化され、最近ではレバレッジ規制が一段と厳しくなる方向で議論が進められている模様。恐らく仮想通貨も今後、同様の流れになるでしょう。なにより税制面で不利になっているのが国の姿勢をよく表している。

これに対して「投資」、とくに長期投資に対して国は明確に優遇する姿勢が顕著。一般NISAに続いて「つみたてNISA」のような優遇税制制度も始まりました。そもそも投資による利益は通常でも分離課税の上、税率も一律。おまけに損益通算や繰越損失まで認められているわけですから、やはり国は「投機」を規制して「投資」を促進するというのが一般原則となっていることがうかがえます。

では、なぜ国は「投機」を規制し、「投資」を促進するのか。それは「投機」と「投資」の違いが理由だと思う。なにが「投機」でなにが「投資」なのかは議論のあるところですが、一般的には期待リターンがゼロもしくはマイナスであり、値動きだけからリターンを獲得するゼロサムゲームが「投機」、期待リターンがプラスであり長期的な資産の成長からリターンを生むプラスサムゲームが「投資」だと考えれば分かりやすいでしょう。そして、これが分かると国が「投機」を規制し「投資」を促進する理由も分かります。それは「投機」では理論上、国民全員が豊かになることができないからです。

仮に日本人全員が「投機」に参加したとします。「投機」はゼロサムゲームですから、一部の国民はお金持ちになってハッピーだけれども、残りの国民はお金を失って悲惨なことになる。そして国全体のお金は全く増えていません。一方、国民全員が「投資」したらどうなるか。理論上は国民全員のお金が増えてハッピーになる可能性がある。そして国全体のお金も増えます。こう考えると国が「投機」を規制して「投資」を促進するのは当たり前の話です。「投機」には、ぜいぜい流動性の供給という役割を考えてお目こぼし的に認めているにすぎません(もっとも、流動性供給というのは重要な役割ですから、投機を全否定してはいけません)。

しかし、もう少し踏み込んで考えると、国はなにも国民のためを思って「投機」を規制しているわけではないことも分かる。「投機」があまりに勢いを増すと社会秩序の維持に悪影響を及ぼすから規制するのです。「投機」はゼロサムゲームですから、そこで得た利益は基本的に他のプレイヤーから奪ったものです。そして「投機」によって損をするということは、他のプレイヤーにお金を奪われたということ。こういう感覚が国民の間に広がるとどうなるでしょうか。「『利益』とは他人から奪うことだ」と考える国民が増えるに違いない。まさに「北斗の拳」の世界です。そうならないよう社会の秩序を維持するためにはどうするか。圧倒的な力で奪い合いを止めさせるしかない。世紀末覇者ラオウのように。

だから、「投機」というのは常に一種の「反社会性」を帯び、国家権力と相対する可能性さえも含む行為です。当然、そこで損をしても国は助けてくれません。そもそも保護の対象ではないからです。逆にあまり調子に載って世間を騒がすと、社会秩序の維持に有害として叩き潰される。それは拳王軍団の兵士といえども無法なことが過ぎるとラオウに「この下衆が!」と剛拳を食らわされるのと同じです。

何に資金を投じるのかはその人の自由です。ただ、「投機」はどこまでも「投機」であり、それは国家あるいはその背後にある「社会」から背を向けた行為だということを忘れてはいけないと思う。だから、つねに国家や社会と対立する覚悟が問われる。ウェイウェイ言っているような軽い態度では、それこそ「投機」としても半人前でしょう。今回、仮想通貨の不正流出で被害に遭った人に対して世間の目が意外と厳しいのは、べつにこれまで儲けていたことに対する嫉妬や妬みではなく、それこそ(本人の意識とは別に)反社会性を帯びざるを得ない「投機家」が背負わなければならない業のようなものなのです。
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