2016年11月23日

『211年の歴史が生んだピクテ式投資セオリー』―プライベートバンクの資産運用とは何か



プライベートバンクでの資産運用といえば、何か富裕層だけに提供されるものすごい投資が行われているように誤解されがちです。そういった幻想が、ある意味で投資詐欺などの温床にもなているわけです。しかし、実際のプライベートバンクでの運用とは、恐ろしく地味なものだということを教えていくれる1冊が、このほど刊行された萩野琢英さんの著書『211年の歴史が生んだ ピクテ式投資セオリー』。プライベートバンクに対し幻想を持っている人が読めば、ある意味で目からウロコでしょう。なぜなら、プライベートバンクの資産運用とは、そもそも“儲ける”ことが目的ではないということが分かるからです。

ピクテはスイスを代表するプライベートバンクとして有名です。著者の萩野さんはピクテ投信投資顧問の社長であり、ピクテ・グループのエクイティ・パートナー。つまり本社の番頭格の1人ですが、その萩野さんがピクテが長年にわたって実践してきた資産運用の方法論の一端を紹介しています。それは、歴史的に資産運用の究極目的はインフレとの闘いであるということです。プライベートバンクを利用するような富裕層にとって、インフレによって資産が実質的に目減りすることが一番困るという発想は、現在の日本人の多くのようにデフレが当たり前だと勘違いしている人にはピンとこないかもしれません。

だからピクテの資産運用の目的は基本的にリスクを可能な限り抑えながら、インフレ率を上回るリターンを確保することになります。その考え方を表すのが、預貯金を含めた「資産の全体設計」という手法。資産全体を「どんなに利息が低くても預金に置いておくべき資金」と「欲張らない投資」「ちょっと欲張った投資」「育てる投資」、そして「スパイス的な投資」に分けて管理するということ。このうち、資産運用のコアとなるのが「欲張らない投資」「ちょっと欲張った投資」「育てる投資」となります。「スパイス的な投資」は本当の余裕資金で行うもので、すべての人が行う必要はないと指摘しています。

このなかでプライベートバンクの存在意義を示すのが「欲張らない投資」でしょう。リスクを可能な限り抑えながら、インフレ率をわずかに上回る程度のリターンを安定的に確保することは、じつはかなり難しいことだからです。これを実現するためにピクテが実践しているのが、「マルチアセット・アロケーション戦略」と呼ぶ幅広い分散投資となるわけです。例示されているポートフォリオは、伝統資産である株式と債券のほかオルタナティブ資産やロング/ショート戦略も含めて、なんと20以上もの異なるアセットへの分散投資を行い、さらに各資産の配分も経済環境に合わせて機動的に変更するという手の込んだものです。

この部分を読んで、プライベートバンクの資産運用の本質がよく分かりました。これだけ労力を費やし、恐らくコストも非常にかかっているにもかかわらず、目的とするリターンはインフレ率程度(ここでは2%程度を想定しています)。つまり、プライベートバンクを利用している本物の富裕層は、インフレ率をわずかに上回るリターンを得るために、大きな手数料を支払っているのです。バカげたことのように思えますが、これこそが本物の富裕層が求める「資産保全」の本質なのだということです。

なぜなら、真の富裕層には富裕層特有の悩みがあるのです。例えば一般庶民なら現預金で足元をガッチリと固めた上で、ある程度のリスク資産を持つことでインフレ率程度のリターンを確保することができます。しかし、資産が何百億、何千億もあるような真の富裕層は、そもそも現預金で資産を守るという選択肢がありえないのです。もし大きな資金を現預金で保有してしまえば、それは金融機関の信用リスクを全面的に抱え込むことになる。また、プライベートバンクの顧客は王侯貴族も多いですから、現預金のように所在が分かりやすい資産を保有すると、万が一、革命などに遭遇すればすぐに収奪(ヒャッハー!)されてしまう。だから、たとえコストがかかろうとも、かなり手の込んだ方法を駆使して“インフレ率程度”のリターンを目指さなければならない。それが富裕層にとっての「資産保全」の真の意味でしょう。

もっとも、こういった読解は本書の著者の意図からは少しずれているかもしれません。しかし、プライベートバンクの資産運用がどういったことを目指しているのかが明瞭になるという点で、本書は非常に参考になった。プライベートバンクでの資産運用は、“儲ける”ことではなく“守る”ことが目的なのです。そこには、バカげた幻想が紛れ込む余地はあまりありません。そして、普通の一般庶民にとって、プライベートバンクのような運用は、それほど必要でもないということも分かります。なぜなら、庶民には現預金で資産を保全するという方法が可能だし、革命が起これば「ヒャッハー」といって収奪する側に回ることも可能だからです。

ただし、「欲張らない投資」が資産運用のコアであるという考え方は、一般庶民も大いに参考にするべきです。そもそも資産運用というのは“儲ける”ことよりも“損をしない”ことが重要だというのは、古今東西不変の大原則なのだから。そして、“損をしない”ことには、インフレに対しても“損をしない”という重要な視点が含まれていることを忘れてはいけない。そこにこそ資産運用のおいて、なぜ“投資”が必要なのかという問題につながるからです。

そいうことが分かるという意味でも、非常に興味深く本書を読みました。冒頭、ピクテの企業文化に触れているところも非常に面白い。名門プライベートバンクの社内文化が、極めて質素だということが分かるからです。やっぱり、投資や運用に関わる人は、チャラチャラしてたらイカンのです。

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