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2015年10月6日

大村智博士のノーベル医学生理学賞受賞に想う-「放てば手に充てり」を実践した花も実もある受賞だ

(今回は投資とは関係のないエントリーです。)

北里大学特別栄誉教授の大村智博士がノーベル医学生理学賞を受賞しました。毎回、ノーベル賞受賞者の来歴を見て感心することしきりなのですが、博士について紹介された文章をいくつか読んで、何ともいえない感動を覚えました。

化学者、2億人を救う。「元高校教師」が生み出した薬(Yahoo!Japan「グローバルヘルス特集」)
ノーベル医学生理学賞に大村智さん 元定時制高校の教師、異色の経歴(withnews)
産学連携で北里研究所に250億円を導入した大村智博士(発明通信社)

元定時制高校教諭という経歴だけでなく、米メルク社からの多額の資金導入、そして特許を放棄してアフリカの風土病根絶に貢献するという博士の研究者としての生き方は、なんとも言えない清々しさを感じさせてくれます。

※大村博士については、すでにこんな本も出ていることを知りました。私もさっそく読んでみようと思います。

大村智 - 2億人を病魔から守った化学者



大村博士の学歴は、山梨大学学芸学部、東京理科大学大学院です。これだけで研究者の世界では傍流も傍流だということが想像できます。そんな大村博士がメルク社と「大村方式」と呼ばれる産学連携システムを作り上げたという話は、じつに痛快。はっきりしているのは、大村博士は自力でコネクションを作っていったということです。学閥もコネもない博士が、自分の才能と努力と人間力で250億円もの研究資金を調達したことに感動を覚えました。企業との共同研究を「癒着」だといって批判する研究者もいたそうですが、こういった批判は他人のカネで研究して当たり前だと思っている凡庸な学者の甘えた意見です。研究にはカネがかかる。あてがい扶持の資金でしか研究できないと思っている学者は、その資金がなくなれば「研究ができない」とブーたれるだけです。本当に研究が大事だと思っているなら、なにか資金を調達する方法を考えるべきなのです。そこに研究者としての「覚悟」が問われている。その点、大村博士が癒着批判に対して「いい薬をつくろうと思ったら製薬会社の情報量は重要。世の中のためということを忘れなければ、問題はない」と歯牙にもかけなかった姿勢は立派。性根が違うのです。

おそらく大村博士にとって250億円というカネは、どうでもいいものだったのでしょう。つまり、最初から最後までカネを「世の中のため」の研究の手段だと考えていたに違いありません。カネはしょせん、なんらかの目的のための手段にすぎません。でも、多くの人はどこかでカネが目的になってしまう。そこに人間の堕落がある。でも大村博士の場合、開発したイベルメクチンの特許を放棄し、アフリカの風土病であるオンコセルカ症(河川盲目症)の予防薬としてメルク社がWHOを通じて無償配布するのに協力したことで、首尾一貫して研究の「目的」を追求していたことが証明されたわけです。また、無償配布したメルク社も偉かったと思う。この博士にして、この製薬会社という感じが、なんとも清々しい気持ちにさせてくれます。

なにも特許を放棄したから立派だと思うのではありません。しっかりと250億円を獲得しながら、それを世の中には放ってしまうのが立派なのです。この両者は切り離せませんし、切り離すべきでもない。なぜなら、そこに人生の真実の首尾一貫があるからです。道元禅師は「放てば手に充てり」(『正法眼蔵』)と看破しましたが、まさに大村博士の研究者人生は「放てば手に充てり」を実践したもののように感じます。それだけに今回のノーベル賞受賞は花も実もある爽やかさに溢れています。

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