2021年7月12日

澤上篤人さんの背中

 

長年にわたって「さわかみファンド」を率いてきたさわかみ投信の澤上篤人会長が、このほど正式に退任されました。

退任のご挨拶(さわかみ投信)

さわかみファンドのファンドとしての現在の評価とは別に、さわかみ投信と澤上さんの今日までの歩みは日本における個人投資家のための株式運用、そして投資信託の歴史に特筆大書されるものがあります。それだけに澤上さんの引退は、ひとつの歴史の節目だと感じます。

澤上さんが、さわかみ投信を設立したのが1996年。そして1999年には「さわかみファンド」を立ち上げます。証券会社や銀行など販売会社を通さずに、運用会社が個人投資家から直接に資金を集めるという直販方式を採用したことは画期的でした。

これがどれほど画期的だったか。以前、広瀬隆雄さんがどこかで澤上さんに敬意を込めて「日本の運用業界は今でも『お金を運用する』ことよりも『お金を集める』ことのほうが偉いとされる」「そんな中、澤上さんが偉かったのは、日本で初めて『お金を運用する』ことの方が大事だということを実践したこと」「だから澤上さんは当時、運用業界から馬鹿にされて村八分にされた。それは今でも一部続いている」みたいなことを書いていました。

しかし、澤上さんが切り開いた独立系投信会社による直販という方法は、それまで金融機関から十分な扱いを受けてこなかった個人投資家にとってひとつの福音でした。そして、澤上さんの後に続く人たちも登場します。「セゾン投信」や「ひふみ投信」といった独立系直販ファンドの多くが、澤上さんの行動に刺激され、それが後にファンドを立ち上げる後押しになったことは多くの関係者が語っていることです。

確かに澤上さんは運用業界では馬鹿にされたけど、そんな既存の運用業界など澤上さんはまったく相手にしていなかった。それよりも澤上さんは、「生活者」と呼ぶ個人投資家だけを見ていた。澤上さんが「さわかみファンド」を立ち上げてから20年を経て、既存の運用業界の見方と澤上さんの決断、どちらが正しかったかのかは既に歴史が証明してくれているでしょう。だから、さわかみ投信と「さわかみファンド」はファンドとしての評価とは別に、歴史的評価の対象となるわけです。

カン・チュンドさんはよく「誰かが日本の投資信託の歴史書を書く場合、澤上さんと『さわかみファンド』についての記述に1章を割く必要がある」と指摘しています。私もまったく同感です。それほど澤上さんと「さわかみファンド」が日本の投資信託に与えた影響は大きいし、何より運用会社と個人投資家の関係性を従来とはまったく異なるものにしてしまいました。それはやはり、歴史的な出来事だったのです。

その澤上さんが引退することで、日本の投資信託の歴史においてもひとつの節目を迎えたような気がします。いまや直販投信は運用業界で確固たる存在感を持つようになりました。個人投資家が投資信託というツールを使って、長期・分散・積立投資を実践する機運も高まっています。澤上さんが目指した「生活者のための長期運用」という理念は、それこそさわかみ投信という存在を超えて広がりつつあるわけです。

最後に少し個人的な思い出を書いておきます。私が初めて澤上さんにお会いしたのは、10年ほど前に大阪取引所で開催されたJPX主催のセミナーでした。講師として招かれた澤上さんはいつもの“澤上節”全開で、なんとも楽しいセミナーでした。その帰路、大阪取引所がある北浜の裏通りに入ったところを歩いていると、少し前を歩いている澤上さんの姿を見つけました。

夏の暑い日でしたが、お付きの人もなく、タクシーに乗るでもなく、炎天下の中、半袖シャツ姿で一人歩く澤上さん。そんな澤上さんの背中を見て「ああ、この人は本当にたった一人で歩いているのだな」と思ったものです。その背中に、なんともいえない孤独の影を感じました。しかし、その孤独な感じは、いささかも怯まずにずんずんと進んでいく足取りと合わせて、なんとも好もしい孤独に見えました。その印象は、たぶん間違っていなかったのだろうと今でも勝手に納得しているです。

関連コンテンツ