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2019年7月15日

サイコパス集団になっている日本の金融機関―かんぽ生命に見る異常な営業体質



日本の金融機関の不祥事が止まりません。野村證券は2019年に入ってから既に5人の逮捕者を出し、さらに元社員と現職社員による詐欺疑惑が浮上しました。また、ジブラルタ生命では営業マンが顧客からの保険料6600万円を着服する事件が発生しています。そして超弩級の事件となりそうなのが、かんぽ生命による保険の不正販売事件です。

かんぽ生命 一時的に無保険4・7万件 金融庁、改善命令検討(産経新聞)

あきらかに日本の金融機関はおかしくなっている。これだけ不祥事が相次ぐと、もはや不正を働いた従業員個人の問題とは思えないのです。日本の金融機関が一種の“犯罪集団”と化す構造的な要因があるのではないでしょうか。そう考えていたところ、まさにその印象を確信に変えるような報道が目に入ってきました。いまや日本の金融機関はサイコパス集団になっている可能性があるのです。

かんぽ生命の不正販売事件は規模も悪質性も群を抜いており、恐らく日本の保険史上でも空前絶後の不祥事となるでしょう。これだけ大規模な不正となると、その原因は単に営業マン個人の資質だけに帰するの無理があります。もっと構造的な不正の温床があるはず。そして、それに関して驚くべき報道がありました。

<かんぽ不正販売>「同行募集」が不正の温床 上司と営業、責任は部下だけ 現役社員ら証言(河北新報)

かんぽ生命では、販売実績を積んだ上司が若手社員と同行営業し、上司が不正な営業をしながら契約は若手社員にやらせていたのです。上司が同行することで高齢者への営業の際の家族同席の義務規定をすり抜けるという狡猾さ。しかも問題が発覚すると上司は「知らない」と言い張って責任を若手社員だけに押し付けるそうです。あまりにもひどすぎる。やってることが無茶苦茶。まるで反社組織のようなやり口です。

当然、こんな無茶苦茶なことをやっていれば、まともな感覚や良識を持つ若手社員は良心の呵責に耐えかねて退社してしまう。あとに残るのは、無茶をやってもなんとも思わないような異常な感覚を持った営業マンだけです。やがて今度は彼らが上司となり、同じように強引な営業活動を繰り広げるわけです。まさに不正の温床の拡大再生産が企業文化になっているのです。

こういった無茶苦茶な営業を続けることのできる人間は、恐らく普通の精神気質ではありません。はっきり言ってサイコパスです。犯罪心理学者のロバート・D・ヘアはサイコパスの特徴として「良心が異常に欠如している」「他者に冷淡で共感しない」「慢性的に平然と嘘をつく」「行動に対する責任が全く取れない」「罪悪感が皆無」「自尊心が過大で自己中心的」「口が達者で表面は魅力的」と定義していますが、まさに不正を働く日本の金融機関関係者にピタリと当てはまります。

実際に記事にあるように、かんぽ生命の東北支社幹部は今回の不正発覚後に「ピンチはチャンス」とばかりに「騒動の謝罪を切り口に新たな契約につなげてほしい」と部下に指示したとか。これを読んで私は呆れるのを通り越して恐怖を感じました。はっきり言ってこの幹部は、まともな精神ではありません。完全にサイコパスです。

なぜ日本の金融機関はこんなことになったのか。それは恐らく従来型の金融商品販売手法が完全に機能不全を起こしているのにも関わらず、抜本的な構造改革を行わずに目先の収益を守るためだけの弥縫策を続けてきたからでしょう。そうした無理を重ねる中で金融機関として守るべき規範も倫理観も磨滅していった。規範も倫理も磨滅した環境では、良識を持った人材は耐えられずに職場を去り、異常気質の持ち主だけが残る。そして出来上がるのが、顧客の資産に対する敬意をまったく欠いたサイコパス集団としての金融機関です。

こうしたことを考えると、日本の金融機関は今すぐにでも抜本的なビジネスモデルの転換を行わなければ、ますますサイコパス集団化が進み、不祥事もさらに増加していくでしょう。再び顧客の資産に敬意を払う金融のプロ集団へと回帰するのか、それとも顧客の資産を食い物にするだけの犯罪集団へと堕していくのか。日本の金融機関は、まさにその岐路に立たされているのです。

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