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2019年4月27日

平成の30年間で起こったことは、日本の株式市場の“死と再生”



東京証券取引所は4月26日で平成年間最後の商いを終えました。いわば“平成の大納会”だったわけですが、終値は2万2258円と、昭和の末(1989年1月6日、3万0209円)から7950円(26%)の下落となっりました。これだけを見ると、まさに平成年間というのは日本の株式市場にとって“失われた30年”だったように思えます。ただ、少し状況を詳細に眺めると、また違った風景も見えてきます。たしかに株価は冴えない30年間でしたが、その間に起こったことは、日本の株式市場の“死と再生”だったのではないでしょうか。

平成の大納会の結果について日経新聞に面白い記事が出ていました。

平成の「大納会」 時価総額バブル期超え  「稼ぐ力」向上進む(「日経新聞」電子版)

確かに株価だけを見ると、特に最初の20年があまりに酷く、そこからの完全に回復できなかったといえます。ただ、平成の最初は、まさにバブル経済だったわけで、ある意味で当時の株価が異常値だったとも言えます。

それよりも注目すべきは、記事にもあるように市場全体の成長、すなわち時価総額です。こちらはすでにバブルを上回る規模になっています。つまり、なんだかんだ言いながら、日本の株式市場は成長していたわけです。そして、上場企業の中身を大きく変わりました。記事では次のように指摘しています。
原動力は、企業の「稼ぐ力」の向上だ。90年代以降、日本企業の海外進出が活発化し、新興国の成長を取り込むM&A(合併・買収)も増えた。野村証券によると、東証1部企業の1株利益は平成の初めに比べて2.6倍に拡大した。企業が投資や生産の効率を重視して過剰設備からの脱却や持ち合い株の売却を進め始めた結果、バブル崩壊後に1%台まで低下した自己資本利益率(ROE)もほぼ右肩上がりで10%台に乗せた。
バブル期に異常な水準となった株価の割高さも世界標準に収れんした。業績に対する株価の割安・割高度合いを示すPER(株価収益率)は89年には50倍台と当時の米国株(12倍)の4倍以上だった。現在は14倍台と、世界の企業と同水準にある。
まさにバブル崩壊という株式市場にとっての“死”を乗り越えて、日本の株式市場と日本企業は少しづつだけれども、確実に“再生”していった。これが平成30年間のある意味で正確な姿ではないでしょうか。

こそに私はもう一つ、投資環境という視点を加えたいと思います。私は祖父や父親が株式投資をしていたので当時の実態をある程度は聞き知っていますが、個人投資家にとって平成が始まったころの投資環境は酷いものでした。ネット証券などはもちろんなく、手数料はものすごく高かった。株式投資と言えば売買で利ザヤを抜くことだと考えられていました。しかも、ダマ転(顧客から預かっている株式を勝手に売買する行為)などもまだあって、我が家でもたまにトラブルになっていたものです。だから、個人投資家の間には証券会社とそのその社員に対して一種の蔑みの感情すらありました(この感覚は現在でも続いていると思います)。はっきり言って株式投資は、まともな世界ではなかったのです。

ところが平成の30年間で個人投資家にとっての投資環境は劇的に改善されました。ネット証券が登場して売買手数料が劇的に低下します。そしてインデックスファンドのように誰もが簡単に国際分散投資できる商品も一般的になりました。その信託報酬もここ数年で急速に低下しています。積立投資も簡単にできるようになりました。個人型確定拠出年金(iDeCo)や「つみたてNISA」など税制優遇の投資口座も拡大・登場しました。ようやく日本でも普通の庶民が個別株や投資信託を通じて簡単に資産形成・運用できる時代になったわけです。

こう考えると、個人投資家にとっての平成の30年間というのは、旧来型の仕組みが衰退し、より健全な形で投資環境が整備された時代だったといえます。やはり日本の投資をめぐる環境も“死と再生”を果たしたと思います。

まもなく新しく「令和」の時代が始まります。私は日本の株式市場の将来に対して意外と楽観的です。なぜなら、平成の30年をかけて再生した株式市場や投資環境は、確実に良い方に向かっていると感じるからです。だから、その成果が具体的に顕在化するのが「令和」という時代ではないという期待があるのです。

※ちなみに、平成30年間で株価は下がっていますが、配当込みではプラスリターンだということを指摘しておきます。それと、この30年間のチャートの形は、積立投資をしていたなら確実に儲かっている形だということも強調しておきます。
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