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2022年7月10日

安倍晋三元首相を悼む―再チャレンジする“負け組”たちの依代だった

 

安倍晋三元首相が凶弾に斃れました。いまだに信じられない気持ちでいっぱいです。なぜこんなことになってしまったのか、どうしても整理がつきません。そう感じているのは私だけではないようで、世の中全体が奇妙な喪失感に包まれています。安倍さんを批判する人はいますが、そういった声が最後まで安倍さんを倒すことができなかったのは、やはり安倍さんがある種の“サイレント・マジョリティ”から支持されていたからでしょう。それが何だったのか今まで分からなかったのですが、安倍さんの訃報を聞いてから、徐々に分かってきました。安倍さんの功績は多々あるけれども、やっぱり最大のレガシーは「再チャレンジ」だったことに気付いたのです。そして、安倍さんは再チャレンジする“負け組”たちの依代だったのでは。

じつは私は第1次安倍政権の頃の安倍さんは、それほど高く評価していませんでした。なんだか観念先行で地に足がついていない感じがしていたのです。その印象は当たっていて、実際に政権運営は上手くいかず、最終的には健康問題から首相を辞任します。自民党はその後、野党に転落するのですが、安倍さんが急速に輝きだしたのは野党時代からです。そして、見事に政権交代を実現してしまいました。第2次安倍政権が始まってからの安倍さんの活躍は改めて言うまでもないでしょう。とくに経済政策「アベノミクス」については以前にブログでも書きました(ありがとう、アベノミクス―教科書通りの凡庸さと偉大さについて)。

しかし、アベノミクスだけで歴代最長の総理在籍を達成できるわけがありません。もっと本質的な何かがあったから、これだけ根強い支持を得たはずです。そう考えたとき、思い出したことがあります。ちょうど第2次安倍政権が始まったばかりの頃、経済産業省の某課長と酒席をともにする機会があり、安倍さんに関して興味深い話を聞きました。その課長は非常に優秀な人なのですが、民主党政権時代は省の中枢から外され、欧州にある出先機関に出向していました。同じ頃、安倍さんも野党の議員として欧州を回っていて、この課長がアテンドすることに。その際、安倍さんは真剣に話を聞いてくれたそうです。恐らく野党議員時代の安倍さんは同じことをいろいろなところでやっていたのでないか。正論よりも党派の論理が優先された民主党政権時代、それこそ排除された“負け組”たちとの出会いが、安倍さんを再生したのだと思う。

そもそも安倍さん自身も“負け組”だったと言えます。安倍晋太郎元外相の息子で政界のプリンスと言われたけれども、よく考えると所属する自民党清和会は福田赳夫の系譜こそ主流であり、安倍系は傍流です。おまけに首相になれば健康問題から短期政権に終わり、「政権投げ出し」の批判も続いていました。そんな安倍さんが、やはり同じく“負け組”にあまんじていた人たちと出会う。そして、安倍さんを再び押し上げたのは、安倍さんの下に集まった“負け組”の人たちの思いです。そう考えると、熱烈な安倍シンパの人たちのある種の共通項も見えてきます。安倍さんを強烈に支持する人たちは、どこか主流から外れた人たちが多い。それがある種のいかがわしさとなり、反対派に批判されもしたわけです。

だから、第2次安倍政権のキャッチフレーズが「再チャレンジ」だったのは必然でした。再登板後の安倍政権というのは、“再チャレンジする負け組”のための政治だったのでは。アベノミクスだってそうです。そもそもデフレというのは、“既に持っている者”にとって都合が良い状態です。安倍さんは、それを終わらせようとした。そして、それに応えて“再チャレンジ”した人たちが国民の中にも多くいたのです。雇用条件が改善したことで非正規雇用から正規雇用に転職できた氷河期世代の人がいた。少ない収入でも少額から株式投資に挑戦し、資産形成を実現した人もいた。女性の活躍にも取り組みました。そして、“既に持っている者”に対しては、相続税が大幅に引き上げられ、高額所得者への課税も強化されました。社会福祉関連の政策でもいくつもの実績を上げています。ここに安倍さんが、支持を得つづけた秘密があります。安倍さんは、まさに再チャレンジする“負け組”たちの依代だったのです。再チャレンジした人たちは、これが分かっていたから、安倍さんが反対派からどれだけ口汚くの罵られても決して支持することを止めなかったのでしょう。

ただ、安倍さんの政治は、どこまでも再チャレンジといった“行動”した人のための政治でした。逆に“行動”しなかった人にとっては、まことの厳しい政治でした。ここに安倍さんの不幸がある。そして、“行動”しなかった人たちのルサンチマンを焚きつける勢力が少なからずいたことが安倍さんを苦しめた思う。誰が“行動しなかった人たち”を焚きつけたのか。多くは“既に持っている”“勝ち組”の人たちでした。“既に持っている”“勝ち組”が、再チャレンジできなかった“負け組”の人を扇動し、結果的に社会の分断を深めてしまった。ここに日本の不幸があります。

私も“負け組”の1人として、いまはただ安倍さんの冥福を祈ることしかできません。それでも、安倍さんが唱えた「再チャレンジ」を今後も続けていくことでしか、日本の再生はあり得ないと確信しています。それが志半ばで斃れた安倍さんに対する、せめてもの供養だと思います。

合掌




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