日経平均株価が2万円を一時超えたことで、現在の株価水準が適正なのか割高なのか、いろいろ議論が出てきました。バリュエーションは株式分析のもっとも重要な部分ですから、大いに議論して投資行動を決めればいいと思います。ただ、メディアが「株が上がっても庶民には関係ない」といった発言を盛んに取り上げるのにはうんざりします。現代のような高度資本主義社会では「株価と無関係な庶民」など存在しないからです。
テレビや新聞では、よく“街の声”として「株が上がっても庶民には関係ない」「儲けているのは株を所有している金持ちだけ」「株価が上がっても実体経済は良くならない」といった発言が紹介されます。こういう経済学的に間違った見解を垂れ流すところに、現代のメディアは単なる金儲け主義(紙面・番組が受ければいいという考え方)で作られていることがわかります。
まず、日本のように成熟した資本主義社会では株式相場と無関係な庶民など存在しません。例えば日本は国民皆年金制度を持ちますが、年金基金の運用の一部は株です。つまり、日本人は原則として全員が間接的に株を所有している。株が上昇したことで“庶民”の年金運用に貢献しています。儲けているのは、金持ちだけではありません。
また、日本の“庶民”が大好きな保険も、掛金の一部は株で運用されています。株価が低迷していたころは、多くの保険会社が予定利回りを運用で達成することができず逆ザヤに苦しんでいました。それは“庶民”からすれば契約している保険会社の破綻リスクが高まっていたことを意味します。しかし株価が上昇したことで、“庶民”が契約している保険会社が逆ザヤで破綻するリスクが低下しました。
株価と実体経済は別物というのは、ある意味では真実ですが、それは株価が実体経済に対して先行指数であるという経済学的経験則を示していることにすぎません。多くの場合、株価が上昇してから実体経済に目で見える形の好景気が訪れます。庶民が好景気を実感するころには株価はだいたいピークアウトでしょう。少なくとも株価が低迷したままの好景気など、資本主義社会ではありえません。
もちろん、私は資本主義を万能だとは思いません。どちらかというとマルクス経済学に同伴的立場をとっているので資本主義に対して批判的です。しかし、「株高は庶民には関係ない」という言説にうんざりするのは、それが単なる金持ち批判にすぎず、本当の意味での資本主義批判とならないからです。だから、いちばんうんざりするのは“街の声”の尻馬に乗って反資本主義的なコメントを吐きながら、きっちりとギャラをもらっている評論家・コメンテーターです。金持ち批判をしているだけで資本主義を批判したつもりになってもらっては困る。
かつてカール・マルクスは『資本論』の中で「株式会社は未来社会への通過点である」「株式会社は詐欺師と預言者の顔をもつ」と書きました。つまらない金持ち批判をしているぐらいなら、マルクスが指摘した株式会社の「預言者の顔」とは何かを考えて行動した方が、よほど資本主義批判としても建設的なのです。
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