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2019年5月1日

「令和」時代始まる―次は日本国民が時代の変化に追いつく時代に



「平成」が終わり、「令和」時代が始まりました。一抹の寂しさとともに、新時代に向けたワクワク感があります。新しく始まった「令和」時代は、どういった時代になるのでしょうか。ひとつだけ言えることは、今後も世界と日本は大きく変化していくということでしょう。平成時代も世界と日本は大きく変化しました。しかし、その変化に日本国民が追いつけなかったのも平成という時代だったように感じます。だからこそ令和時代は日本国民が時代の変化に追いつく時代になって欲しいと思うのです。

平成時代とは何だったのかと振り返ると、ひとことで言ってそれは日本が世界の基準に対応するために変化するための長い調整期間だったように感じます。冷戦構造が終わり、世界は新しいルール作りに取り組みました。それがグローバル化と呼ばれました。そうした中で日本も新しいルールへの対応を余儀なくされたわけです。それは政治から経済、そして文化にまで及びます。

一方、そうした変化に日本国民全体が十分に対応できなかったなのも平成という時代でした。先日、このブログで平成時代に日本企業と日本の株式市場は“死と再生”を遂げたと書きました(平成の30年間で起こったことは、日本の株式市場の“死と再生” )。紆余曲折を経ながらも、日本の投資環境も随分と良くなったわけですが、やはりいまだ日本では日本企業と日本の株式市場に対して負の感覚が根強くあります。従来以上に経済的な自助努力が求められる時代になったにかかわらず、資産形成・運用に向けた取り組みが一般化したとは言えません。

これは経済だけではありません。政治も同様でしょう。多くの国民の政策に対する評価軸が世界から大きくズレている。だから、本来なら政府を厳しく批判することで政治に健全な緊張感を持たせる役割を担うはずの野党も批判の方向性自体がズレている。その結果が、現在の与党一強体制です。政府与党は国際社会と対峙していますから、いやおうなく世界のルールに適応した政策を立てざるを得ない。しかし、世界のルールを視野に入れず、国内だけで通用する理屈に囚われていては、その本当の意味が見えないのです。

しかし、時代は確実に変わりつつあります。とくに若い人たちが明らかに時代の変化に対応し、行動しようとしているように感じます。経済も政治も、以前とは根本的に認識自体が変わりつつあるように思います。投資の世界でも、政治の世界でもそれは起こっていると思う。少しづつだけれども、日本国民が時代の変化に追いつこうとしているのではないでしょうか。これこそが新しく始まった「令和」という時代の大きなテーマなのかもしれません。



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