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2018年12月23日

下落相場の中で企業も投資家も“本質”が問われる



どうやら本格的に下落相場に突入しそうな雰囲気です。思い返せばここ数年にわたって好調な相場が続いていたのですから、このあたり本格的なリセッションとなるのは自然な流れです。そういう自然な流れに対して盲目的になってしまい、好調な相場があたかも永遠に続くかのように錯覚してしまうところに、私たち投資家の愚かさがあります。そして相場の女神は実に残酷でもあります。下落相場の中で企業も投資家もふるいにかけられ、“本質”が問われることになるのでしょう。

資本主義経済というのは、常に好況と不況の波を繰り返しながら発達してきました。注意すべきは、資本主義が機能不全になるから不況になるのではないということです。資本主義において不況は初めから織り込まれた必然であり、ある意味で不況があるからこそ資本主義総体としては発達する(この辺は宇野派あたりのマルクス経済学では常識的なことかもしれません)。

ところが、そういった常識は好況の中ですぐに忘れられてしまう。あたかも現在の繁栄が永遠に続くかのようにさえ錯覚してしまうのです(だから経済のリセッションは常に何らかの“ショック”として認識されます)。そして、ある種の錯覚の中で企業に対する価値判断もおかしくなる。冷静に考えれば明らかに過剰な評価となる株価が何の疑いもなく成立したりします。

ところがいったん相場がリセッション入りすると、それまで自然に見えていたものが錯覚だった気づく。割安だと思えた株価が異常に割高だったことに気づいてハッとするわけです。

しかし、これは見方を変えると、下落相場の中でこそ本当に買うべき価値のある企業が見えてくるということです。逆に相場の地合いに支えられていただけで中身のない企業はとことん打ち捨てられる。まさに企業価値の“本質”が問われるわけです。そういう意味では、下落相場の時こそ、投資家それぞれが本当に欲しいと思える銘柄を明確にできる瞬間でもあります。

そして“本質”が問われるのは企業だけではありません。投資家自身も厳しい選別の波にさらされることになる。投資の本質をしっかりと理解している投資家は、多少の下落でもびくともしません。一方、安易な気持ちで投資を始めた人の多くは相場から退場することになります。悲しいことですが、これまで何度も繰り返されてきた光景です。

だから下落相場において投資家は「勉強」しなければならない。各人が各人なりの「投資とは何ぞや」という思想を確立しなければならないのです。投資には「勉強」が必要なのかどうかという議論がありましたが、些末な投資技術論などは深く勉強する必要はありません。それよりも投資家各人なりの投資哲学について真剣に省察することが必要なのです。

そういった勉強をするためには、やはり古典といわれる本を読むことをお勧めします。古典には時間によって鍛えられた“本質”となる内容が含まれているからです。日々の株価を眺めて一喜一憂するよりも、読書によって己の精神の中に本質的なものを鍛え上げていくことの方が、よほど生産的であり、おそらく長期的にも得るものが多いに違いありません。



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