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2018年6月25日
氷河期世代にとっての資産形成・運用は“負けられない戦い”
私は1976年生まれで、1浪しているので大学卒業が2000年。大学院の修士課程を修了して社会人になったのが2002年です。まさに就職氷河期世代のど真ん中。そんな我が身を振り返りながら、久しぶりに心に刺さるブログを読みました。ななしさんという人が書いているその名も氷河期ブログというブログです。ななしさんは恐らく私とほぼ同世代だと思うのですが、資産形成・運用について根本の部分でかなり近い考え方を持っていると感じたのです。それは、私たち氷河期世代にとって資産形成・運用というのは、まさに“負けられない戦い”だというヒリヒリした感覚です。
ななしさんのブログで、とくに私の心をザワつかせ、そして迫るものがあったのは以下の二つのエントリーでした。
氷河期世代は生き地獄なのか(氷河期ブログ)
悲報:氷河期世代はマジで棄民世代なのかも(同)
なにを恨めしいことを書いているのかと批判する人もいるかもしれませんが、私は同世代の感覚として強い共感を禁じえませんでした。自分のことを振り返っても、ななしさんとほぼ同じ体験をしているからです。私や私の同級生たちも就職活動で大苦戦し、それこそ精神を病む人もいました。就活で精神を病む人が出てくる現象のはしりだったと思う。私はその後、大学院に進学し、修士課程を終えますが、あいかわらず世間は不景気の真っ只中。私のように文学部の大学院を出た人間がまともに就職できるわけもなくフリーター生活の突入します。正社員として就職できたのは29歳の時でしたが、年収は200万円台でした。
しかし、正社員として働くことができただけでも私はましな方だった。その後、リーマン・ショックの時には賃金カットやボーナス無しを経験するということもありましたが、少なくともそれなりに安定した生活は維持できているからです(それは私が独身だからという理由もあります)。しかし、同級生の中にはいまだに非正規雇用のままで年収200万円台前半で働いている人がいます。もちろん、結婚もしていません。そういう現実を前にしているので、“自己責任厨”がどんなにイキったことを言っても、私たち氷河期世代の心には響かない。現実を直視しない能書きは無力なのです。
実際に氷河期世代は現代の棄民世代かもしれない。しかし、声を大にしていいたのは「氷河期世代にも意地がある」ということです。私たち氷河期世代は、たしかに経済的にはマイナス条件からのスタートだったかもしれない。それでも幸せな生活をおくる権利を捨てた気はさらさらない。いや、経済的にはマイナス条件からのスタートだったからこそ、長期的な生活基盤の構築という問題に対して常に自覚的になれた。そういう人の中から、いち早く少額・長期投資による資産形成・運用に目覚める人が登場するのは必然だったのかもしれません。そのひとつの典型として、ななしさんのやっていること共感したのです。
私やななしさんが実践している資産形成・運用の手法は、インデックスファンドを使った長期の国際分散・積み立て投資ですから、非常に穏健なものです。決して急に資産が何倍、何十倍になったりするようなものではありません。しかし、そういった穏健さの背後には、極めて厳しい認識があるのではないでしょうか。なぜなら、氷河期世代にとって資産形成・運用というのは決してチャラチャラしたものではなく、それこそ運命に抗して将来を生き延びるために真剣に取り組むものだからです。マイナス地点からスタートしているからこそ、決してギャンブルはできない。それこそ“負けられない戦い”なのです。地味で穏健な投資を実践しながら、心のどこかに、そういったヒリヒリした感覚があると思う。そういうヒリヒリした感覚こそ、氷河期世代の資産形成・運用に共通するもののような気がします。
そして、ななしさんはある意味で私よりも先を走っているともいえます。それは、すでに家庭を持ち、子供を養いながら資産形成・運用に取り組んでいるからです。それは偉大なことです。そういう先達として、大いに見習いたいと思う。それも含めて、なんとも心に刺さるブログでした。
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