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2018年4月30日
日本でもパーソナル・ファイナンス教育が必要だ
日経新聞(電子版)にちょっと気になる記事が載っていました。金融ベンチャーがアンケート調査したところ、日本の20代から30代前半の若者のうち、93%が「自身の金融リテラシーは高くない」と回答したそうです。
金融リテラシー、若者の9割「高くない」(「日本経済新聞」電子版)
さもありなんと思いました。ただ、若者を「不勉強だ」「意識が低い」と批判してはいけないと思う。なぜなら、私も含めて戦後の日本人は、金融リテラシーに関するまともな教育を受けていないのだから。やはり日本でもパーソナル・ファイナンス(個人・消費者としての金融)に関する教育が必要だと強く思うのです。
金融ベンチャーのグッドマネージャーの調査によると、20代から30代前半の回答者のうち93%が「自身の金融リテラシーは高くない」と回答し、自らの収支を把握できている人は23%、経済情報を日常的にチェックしている人は12%にとどまったそうです。しかも、「金融リテラシーの低さを問題だと感じるか」との問いに対して40%が「問題だと思わない」と回答するなど危機感の低さも鮮明で、じつに酷い状態だということが分かります。
実際に日本人の金融リテラシーの低さを示すような事例には事欠きません。例えばクレジットカードのリボ払いなどを未だにやっている人が少なくないし、カードローンなどで安易に借金する人も後を絶ちません。誤解を恐れずに言うと、社会問題化している奨学金の返済滞納問題なども、そもそも借り手である学生が実態は低利の学費ローン(借金)だということをよく理解していないことから問題を拗らせてしまっているケースが少なくないのでは。
そして、まともな金融リテラシーを持っていない若者が投資を始めると、いきなりFXとか仮想通貨の世界に行ってしまう。あるいは億単位のフルローンでマンションを買って、サブリース契約で儲けようとする。年をとったらとったで、目先の分配金に誤魔化されて高コストな毎月分配型投信を買ったりする。ひどい場合は金融詐欺に遭ったりさえする。あげくの果てには「投資は怖い」「投資なんかしてはいけない」などと言い出すわけで、とにかくすべての順序がアベコベなのです。
なぜこんなことになってしまったのかというと、結局は現代の日本人はまともな金融教育を受けていないからにほかなりません。私の場合、幸いにもごく自然に株式投資するような家庭で育ったことで、平均的な日本人よりは幾分か金融教育の機会に恵まれていました。しかし、家庭以外、とくに学校教育などで金融教育を受けた経験は皆無です。ほとんどの日本人はそうでしょう。これが日本人の金融リテラシーが貧困なままに放置されている最大の要因です。
しかし、歴史的に見れば、ここまで日本人の金融教育がおざなりにされるようになったのは近代に入ってからことです。それこそ江戸時代は「読み、書き、そろばん」という形で庶民にも教育がある程度は普及していたわけですが、ここでいう「そろばん」とは単なる計算技術ではありませんでした。それこそ年貢米の算定方法や、商いに必要な経理計算や借入金の複利計算など、かなり具体的な金融教育が行われていたのです(だから、井原西鶴や近松門左衛門の作品などを読むと、けっこう経済的な計算の話がさらっと登場します)。
だから、やはり日本でも学校教育の中で正しい金融教育を行う必要があるということです。なぜなら、日経新聞が伝えるように、今後の日本では若者が社会に出たときに確定拠出年金などを通じて、いやおうなく投資と向き合わなければならなくなっているからです。あるいは教育費の高騰から貸与型奨学金を活用する人も増えこそすれ減ることはないでしょう。だから、少なくとも高校生までには一定の金融リテラシーを身に着けることが求められる。そうしないと、「金融リテラシー」の有無がその後の資産形成の成否を左右するわけですから、経済格差の温床になってしまう。それは社会にとって悪いことです。
その点、やはり参考になるのは米国の取り組みでしょう。米国は日本以上に経済問題に対して自己責任原則が色濃い社会ですから、例えばカード破産などで経済的に転落する人も多い。また、基本的にインフレ前提の経済ですから、投資を含む資産形成の重要性も極めて大きい。そのため、それこそ社会秩序の維持の狙いさえ含めて小中高生に対するパーソナル・ファイナンス教育が行われています。官民学が連携してアメリカ経済教育協議会(NCEE)やNGO団体であるジャンプスタート連合などを組織し、パーソナル・ファイナンス教育に関する学習基準なども定めています。それに基づいて編纂された米国の中高生が使っているパーソナル・ファイナンスの教科書は日本語にも翻訳されていますから、読んでみるといいでしょう。かなり高度な内容まで踏み込んでいることが分かります。しかも、浅薄皮相な投資のテクニック論ではなく、経済・金融の本質から丁寧に教え、それを資産形成や投資の正しい理解につなげていくカリキュラムが整備されているのです(以下は、その一部)。
こういった本気のパーソナル・ファイナンス教育を日本も学校教育の中でやるべきなのです。あるいは生徒よりも先に中高の先生体が勉強する必要があるのかもしれません。なにしろ冒頭で紹介した日経新聞の記事によると、中学・高校教員の48%が金融教育について「専門知識不足で授業実施が難しい」と答えていますから。しかし、知識がないなら先生たちも勉強すればいい。あるいは、外部人材の力を借りてもいいはずです。
少なくとも生徒を社会に送り出す以上、子供たちが金融リテラシーを持たないがゆえに経済的苦境に陥ることを防ぐ責任が学校や大人にはあるはず。そのための武器となる知識を子供たちに教えてあげなければならない。いよいよ日本も、官民学が連携して本気のパーソナル・ファイナンス教育に取り組むときが来たのだと思う。それなしには、政府が目指す「国民の安定した資産形成」も、金融機関が求める「貯蓄から投資」へという目標も、ともに画餅に終わるに違いありません。
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