投資に関する議論で定期的に登場する話題に「少額投資は無意味」というのがあります。毎月数千円から数万円を投資しているだけでは人生が変わらないという指摘です。たしかにそうかなと思わせる言葉ですが、よくよく考えてみると問題設定自体が実践論として無意味なのです。なぜか。それは、普通の生活者にとって投資とは「少額投資」でしか始められないからです。
これは当たり前の話ですが、投資による収益率が同じなら投資金額が大きい方が収益絶対額は大きくなります。そこで「少額投資では利益の絶対額が少ない。それでは人生が変わらない」ということになります。それはある意味で正しいでしょう。ただ、こうした指摘が無視していることがあります。それは「不可能なことを前提にした議論は、実践論としては無意味」ということです。
現在、少額から投資している人の多くは、ごく普通の生活人でしょう。そういった人々は、一定の収入の中から生活費をまかない、その余剰から投資資金を捻出しているはずです。つまり、好むと好まざるとにかかわらず、少額投資するしかないわけです。そういった人が大口投資を始めるにはどうしたらいいのか。生活費を削りますか? まず無理でしょう。とくに家族をがいる場合、生活費というのは自分一人で決定できるものではないからです。
あるいは、まとまった資金を貯めてから投資するという方法もあるでしょう。しかし、この方法で問題になるのは、種銭を貯めるまでの時間的ロスです。人間の一生は有限ですから、まとまった資金が貯まるまで待てば、それだけ投資期間が短くなってしまいます。その機会損失は無視できないものになるでしょう。
結局、普通の生活者が突然に大きな資金を投資するというのは、不可能なことです。そういった不可能なことを前提とする議論は、実践論としては無意味です。もちろん、少額投資するよりも自己投資によって収入を増やすことに専念するべきという意見は一理ある。しかし、それはすでに投資金額の多寡とは別の次元の問題になっています。なぜなら、そもそも収入を爆発的に増やせるなら、株式投資など必要ないかもしれないからです。
それにしても、こうした議論が定期的に登場するのは「株式投資」というものへの期待が過剰にあるからでしょう。しかし身も蓋もない話ですが、そもそも株式投資で「人生を変える」ことなどできません。株式投資の期待リターンは、「人生を変える」ほど大きなものではないからです。では、なぜ株式投資をするのか。それは「生活を守る」ためです。
少額投資を続けている人の多くは、このことを理解している。べつに「人生を変える」ことを目指していない。それよりも自分と家族の「生活を守る」ために株式投資を中心として資産形成・運用に取り組んでいるのです。そして「人生を変える」ことは、株式投資とは別の次元で努力しているはずです。なにより「お金だけが人生ではない」という視点が「少額投資は無意味」という指摘には欠けているのです。
でも、どうしても「人生を変える」ために一発逆転を狙いたいならどうするべきか。はっきりいって、チマチマと株式投資しているぐらいでは追いつきませんから、別の方法を考えるべき。ズバリ、起業すべきでしょう。投資するのではなく、投資してもらう側になるのです。世界の大富豪を見渡してください。ほとんどが起業によって大金持ちになっています。ビル・ゲイツやジェフ・ベゾフ、そして孫正義などはチマチマと株式投資で資産を作ったわけではありません。
もちろん、ビル・ゲイツやジェフ・ベゾフぐらいに成功できる可能性は極めて小さいでしょう。しかし、たとえ中小零細企業でもオーナー社長になれば、サラリーマンよりは高収入になる可能性は高い。当然ながらリスクは大きいですが、それも含めてたしかに「人生」は変わります。「人生を変える」と言うなら、それぐらいの覚悟が必要でしょう。
ただし、起業を目指していても「自己投資」の名の下に情報商屋にお金を払ってセミナーなどに参加しているようでは成功はおぼつかないでしょう。ビル・ゲイツやジェフ・ベゾフ、あるいは孫正義が起業する前に情報商屋のセミナーなどに参加していたわけないです。
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