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2019年6月5日
もし公的年金制度が廃止されたらどのような世界になるのか
金融庁の金融審議会「市場ワーキング・グループ」がまとめた報告書「高齢社会における資産形成・管理」が発表されました。
金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」(金融庁)
これは非常に優れた報告書です。高齢化社会において資産形成・管理についてどのように考えるべきかを包括的かつ真摯に分析・提案しているからです。ところが事前に報告書案が発表された時から、一部で内容を誤解・曲解した批判が続きました。批判している人の多くは報告書をまともに読んでいないことによる勘違いか、あるいは意図的に内容を曲解して別の狙いがあることが明白です。ただ、ひとつ捨て置けないのは、そういった誤解や曲解による意見を真に受けて「どうせ公的年金は破綻してるのだから、さっさと廃止して保険料を集めるのもやめろ。自分の老後資金は自分で何とかする」と言い出す人がいることです。これは非常に愚かで危険な考えです。そこで、もし本当に公的年金が廃止されたら、私たちはどのような世界で生きなければならないのかをシミュレーションしてみたいと思います。
金融庁の報告書によると、現在の高齢夫婦無職世帯(夫65歳以上、妻60歳以上)の平均的な年金収入は月額約19万円、年額228万円です。85歳まで生きるとすると、65歳から85歳までの20年間の総年金収入は4560万円となります。もし90歳まで生きれば、その額は5700万円まで跳ね上がります。そして、公的年金が廃止されれば、この金額を現役時代に貯める必要があるわけです。
では22歳から65歳まで働いたとすると4560万円を作るためにどれだけ貯金しなければならないでしょうか。簡単な算数です。年額約107万円、月額にして約9万円です。90歳まで生きる場合だと5700万円を作るのに年額約133万円、月額約11万円を貯金する必要があります(わかりやすくするために金利は捨象しました)。さて、「公的年金なんか廃止して、保険料を徴収するのも止めろ」という人は、22歳から65歳までの43年間、毎月9万~11万円を貯金することができるでしょうか。
「いや、投資をして増やす」と言う人もいるかもしれません。では年利3%で運用したとすると、43年間で4560万円を作るのに必要な積立金額は月4万3300円、5700万円を作るの必要な積立額は5万4100円となります。さあ、いますぐ自分の給与明細を見て、実際に支払っている年金保険料と比較してください。ほとんどの人は、いま支払っている年金保険料の方が安いはずです。ちなみに厚生年金保険料は報酬月額に応じて31等級に分けられ金額が変わりますが、保険料が最大となる31等級の人でも現在の支払額は月5万6730円(実際の保険料は11万3460円ですが労使折半負担のため被保険者の実際の支払い額は半分になる)。そして31等級の人が90歳まで生きれば25年間で実際に受け取る年金額は5700万円を大幅に超えます。
よく考えてください。自分で運用すれば毎月5万4000円を積み立てても5700万円程度にしかならず、それですら月額19万円でカツカツの生活です。そして90歳を超えて長生きしてしまえば資金が尽きて一層困窮するでしょう。一方、公的年金なら支払額が少なくてすむ上に終身給付。それこそ100歳まで生きてもビクともしません。おまけに障害年金や遺族年金といった強力な特約も無料で付帯します。こうした簡単な計算をするだけで、公的年金制度がどれだけ有利な制度かわかります。
「いや、俺はもっと上手く運用するから大丈夫だ」という意見があるかもしれません。しかし、もし公的年金が廃止されたら老後資金は自分の世帯だけの問題ではなくなります。親の生活費をどうするのかという問題が出てくるからです。親に十分が蓄えがなかった場合、自分の老後資金を準備しながら、親世帯へ仕送りもしなければならない。自分の老後準備と同額を仕送るとすれば、毎月の負担は自分の老後準備と合わせて約10万円。一人っ子同士の夫婦なら、夫婦双方の親世帯への仕送りも必要ですから負担額は毎月15万円となります。
さらに恐ろしいことがあります。親の親、すなわち祖父母世帯への仕送りです。人生100年時代ということは、45歳の現役世帯が70歳の親世帯と95歳の祖父母世帯を支えるということです。さらに仕送り額が5万円増えて、毎月の負担額は20万円となりました。さて、これで生活できますか。私はできません。こうして計算すると、「公的年金制度があってよかった!」と心底思いました(ちなみに公的年金制度が未整備の時代でも社会が成り立ったのは3世代が同居して1世帯として暮らすことで生活コストを抑えていたからです)。
そして、こうした計算をすることで分かるのは、長生きリスクへの備えは自助だけでは不可能だということです。だからこそ公的年金という共助の仕組みが生み出されました。それは人類の知恵です。一方、共助で保証できるのは生きていくための最低限の備えだけだということも明らかになります。そうでなければ、やはり共助のための負担額が大きくなりすぎ、参加するメリットがなくなるからです。ここに公的年金と自助努力による資産形成の関係性も明らかになります。老後の最低限の費用を公的年金という共助で賄い、それを超えた費用は自助努力で補う。そして、そこから零れ落ちて貧困状態となった人には生活保護など公助で支える。公助、共助、自助が相互補完しながらバランスすることで社会保障が成り立つのです。
自助しかない世界は弱肉強食の地獄です。同時に、公助だけに依存した社会も活力なきディストピアです。私たちが生きるこの世界が地獄でもなく、ディストピアでもないようにするために、共助の仕組みが絶対に必要。それが公的年金制度です。そして、共助と公助を守るためにも自助が必要になる。それこそが金融庁の報告書が訴えていることの本質なのです。
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