英国がEUからの離脱を国民投票で決めたことで、世界的に株価は大暴落となりました。ただ、短期的には大きな心配はないと指摘しているのが、ポール・クルーグマン教授です。ニューヨーク・タイムスに、なかなか核心を突いた論考が載っていました。
Brexit: The Morning After(The New York Times)
しかし、短期的には影響は少なくとも、BrexitによってEUやユーロ・システムにとっては本質的な危機が表面化したわけで、世界の政治経済への長期的な影響は避けられそうもありません。そしてもう一人、早くから英国のEU離脱を“予言”していたのがエマニュエル・トッドでした。トッドのインタビュー集、「ドイツ帝国」が世界を破滅させるを読み返すと、EU離脱派の心性というものがよく分かります。
現在のEUとユーロ・システムが事実上、ドイツの“カール大帝路線”の表れになっていると解釈されているわけです。そうなると、今回のBrexitという出来事は、現代の神聖ローマ帝国(実際に正式名称は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」だった)たるEUに、再び大英帝国(英国は現在でも英連邦〈The Commonwealth〉を維持している)として相対しようとしているとも理解できるのです。
クルーグマンによると、たしかにBrexitによって英国経済は大きな打撃を受けるけれども、それが直接的に世界経済に与える影響はそれほど大きくないと見ています。最大の理由は、英国が依然として自国通貨であるポンドを持っていること。確かにポンドは下落しましたが、1992年に英国がERM(欧州為替相場メカニズム)から脱退したときに比べれば下落率は小さい。また、英国の債務は自国通貨であるポンド建てが中心ですから、ポンド下落によるバランスシート危機にはならい。これは外貨建て債務が多い新興国の通貨が下落するのとまったく意味が異なるのです。だから英国債の金利もいまだ低いままです。
ただ、英国やEUの経済に対する不確実性が増したことで投資が抑制されることによる景気への悪影響は意外と長期化しそうです。そしてなりより政治的な悪影響が極めて大きいとクルーグマンは指摘しています。それは欧州統合という政治経済的プログラムに対する信頼感が失われようとしていることです。しかも、それは英国がEUに残留したとしても根本的に解決されない問題だからです。クルーグマンの次の発言は、問題の核心を突いています。
The big mistakes were the adoption of the euro without careful thought about how a single currency would work without a unified government; the disastrous framing of the euro crisis as a morality play brought on by irresponsible southerners; the establishment of free labor mobility among culturally diverse countries with very different income levels, without careful thought about how that would work.結局、EUやユーロの危機とは、EU加盟国間の格差があまりに開いてしまったこと。その原因は財政統合をせずに通貨統合してしまったことに帰着する。例えば南欧諸国は不景気に悩んでいますが、景気刺激のための財政出動がEUの規定でできません。普通であれば通貨切り下げで輸出競争力を回復させたいところですが、ユーロが安くなれば、その恩恵はおもにドイツにもたらされる。
一方、EUは人と資本の移動をどんどん自由にします。緊縮財政と規制緩和を同時にすれば、国家による再分配機能が弱まりますから格差が広がるのは当然でしょう。そして加盟国間で見れば、ドイツが安いユーロの恩恵を独占しながら、南欧諸国などは緊縮財政を強要されることで恒常的な不景気に追い込まれているという見方が説得力を持つのは、ある意味で正しいのです。
ユーロ加盟国はすでに債務がユーロ建てになっているので、EUとユーロから離脱すればバランスシートは破綻しますが、英国の場合はEUに加盟はしていても、ユーロには加盟していないので、いまのうちにEUからも離脱して、ドイツのヘゲモニーから自由になろうという判断が出てきてもおかしくないのです。
こういう状況を早くから指摘していたのがトッドでした。トッドは、現在のEUが事実上、「ドイツ圏」としてドイツの経済的支配体制に組み込まれていると指摘しています。そして英国は、ここから離脱しようとしていると。なぜなら、英国は欧州大陸とは別の世界にも属してるからです。「ドイツ帝国」が世界を破滅させる所収の「ドイツがヨーロッパ大陸を牛耳る」と題したインタビューで次のように語っています。
彼らは、ドイツ的ヨーロッパよりもはるかにエキサイティングで、老齢化の程度もより低く、より権威主義的でないもう一つの別の世界である「英語圏」、つまりアメリカやカナダや旧イギリス植民地の世界に属している。トッドの発言というのは伝統的なフランス知識人の例にもれず、一種の“ギャグ”としても読むべきものですが、マルクスが「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」)と指摘したように、ある種の構造的反復を理解する助けにはなります。つまり、Brexit後の世界とは、まさに「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」に、英国は「大英帝国」として相対するということなのかもしれません。
しかし、そうなると今後の英国の大きな課題は、いかに大英帝国を維持するのかということになります。クルーグマンも英国にとって本当に深刻なのはEUからの離脱ではなく、英国自体が崩壊してしまう危険性を生み出してしまったことだとして、次のように記しています。
Where I think there has been real additional damage done, damage that wouldn’t have happened but for Cameron’s policy malfeasance, is within the UK itself. I am of course not an expert here, but it looks all too likely that the vote will both empower the worst elements in British political life and lead to the breakup of the UK itself.実際にスコットランドなどが連合王国から独立してEUに残留しようとする声が高まってきました。皮肉なことに、大英帝国どころか連合王国の維持が焦点になってしまったわけです。一方、EUは英国以外の加盟国からも離脱を求める声が大きくなります。EUやユーロが崩壊すれば最大の実害を被るのはドイツです。やはり神聖ローマ帝国も帝国内の不穏な動きに悩まされるようになる。
いずれにしても今回のBrexitという出来事は、大きな歴史的転換点の端緒なのかもしれません。しばらく世界の政治経済は、大きく変化していくような気がします。(ちなみに、大英帝国と神聖ローマ帝国が相対したとき、そのバランスを決定するのは、歴史的に見てもフランスだったということは、現在においてもなかなかの“ギャグ”かもしれません。)
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